デューン 砂の惑星 PART2
ドゥニ・ヴィルヌーヴ、好きです。
テッド・チャンの短編小説「あなたの人生の物語」をベースにした『メッセージ』で衝撃を受けて以来のファンです。
何がいいかというと
「見たこともない世界を体感する!!」
というような客観的な感想とか評価とかの余地もなく、身も心も映像の中に引き込まれてどっぷり浸かる、という感覚が素晴らしい。
モノトーンに近い抑えた景色と強い色彩の対比とか
そういう映像の美しさに引き込まれるのはもちろんだけど、今回の『デューン パート2』は前作にも増して内臓を揺さぶるような重低音が効いている。
砂虫の迫力もそうだけど、砂虫を呼び寄せる機械の超重低音のリフがしびれる。
さらには、このドゥーン、という打音の繰り返しのイメージが大詰めでポールが皇帝に王位継承を迫って踏み込むシーンに重なり、効いてくる。
これはIMAXで体感するしかないだろう。
展開もいい。
2時間46分の作品、でも
パート1での下ごしらえがしっかり出来上がっているから、今回はどんどんストーリーが重層的に盛り上げっていって、あれよあれよという間に物語の終着まで流れ込んでいく。
物語としては、フレメンの娘、チャニが重要な軸として据えられていて
「砂の惑星に生きる」
という、人間として直に生きている感覚に素直でありたい彼女の生き方がストーリーの流れに対するアンチテーゼとなり、復讐と権力闘争の物語に深みをもたらしている。
ポールは、前作の失意のどん底から
「砂の惑星に生きる」ことに喜びを見出していたのに運命というか、この世界の理のような「チカラ」によって望まなかった道を求めていく意思を埋め込まれてしまう。
その悲劇性が、この映画の味わいだ。
ポールとチャニの恋愛悲劇、というよりも
人間としての在り方の話、というわけだ。
だからラストでチャニが砂の世界に戻っていく、その姿に一種の安心感があって、僕らの感覚にしっかりと着地するカタルシスを与えてくれるのだ。
そして改めて「生きる」、という実感、リアルについて思いを巡らし、
ふー、と深い息をつくのである。
さて、忘れてはいけないのが、この男
フェイド=ラウサ・ハルコネン
リドリー・スコットの『プロメテウス』の世界に迷い込んだかと思ってしまいました。怖い…。
しかしながら中身は、クレイジーだけど、いやむしろクレバーだからこそクレージーであらざるを得なかった悲しみを含んだ男。
こういう敵役ってのは、いいもんです。
あと、この映画で最高に度肝を抜かれたのはハルコネン家の惑星の描き方
ここは、本当に驚いた。
いきなりモノクロです。
モノクロにこんなに「力」があるなんて…
対比のなかで色彩を強調する、いままでのシーンからの切り替わりで「力」が強烈に効いてます。
彩りのない、人間味もない、そういう世界の象徴、、、そうか、、、そうきたか、、、
ドゥニ・ヴィルヌーヴは、やっぱり天才です。
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