電気羊

のんびり映画、読書、たまに美術館。 しばらく放置していたブログ『そこに魂はあるのか?』の続きです

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最近の記事

アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界@府中市美術館

■ミュシャといえば、2017年に国立新美術館で開かれたミュシャ展で全作が公開された「スラブ叙事詩」が衝撃的で、それ以来ずーっと心に残っていた。 今回、府中市美術館の展示で油彩画の「クオ・ヴァディス」と「ハーモニー」が見られるということに遅ればせながら気が付いて足を運んだ次第。 結論から言えば大満足なのだけれど、いわゆるミュシャ的な版画やポスターも、展示の構成が「クオ・ヴァディス」と「ハーモニー」に至る道筋を作り盛り上げていて、その意味でさらに満足度が深まった。 ■という

    • 手塚雄二展 雲は龍に従う@そごう美術館

      ■寛永寺根本中堂奉納天井絵《叡嶽双龍》 門外不出、もう二度と外に出ることのない、なんて言われると見たくなるのが人情である。 数百年を経た天井板に5年の歳月をかけて描かれた龍。 ■ここに至るまでの工程をビデオで流していて、それを見た後に改めてみるといろいろな思いが感じられて、しみじみとする。 けれど、これって上から眺めるものでは無いなあと思う。 静けさの満ちたお寺の本堂の天井に仰ぎ見ることで、龍が天上から降りてくる様が直に感じられる、そういうものなのだろう。 きっと、

      • 日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション@東京都現代美術館

        ■日本現代アートに初めて触れたのは2009年6月、上野の森美術館で開催されたneoteny japanだった。 そこで奈良美智や会田誠、鴻池朋子、池田学の作品に出合い、西洋絵画とまた違った、ダイレクトに感覚に飛び込んでくるパワーに圧倒されたのである。 今回は、前回の「幼生成熟」というようなコンセプトを外し、高橋さんが感じてきた日本現代アートの風景を体感する、そういう趣向だ。 ■第1章は【胎内記憶】 高橋さんが昭和の時代に集めた初期の作品群が展示される。 大きく目を引くのは

        • 舟越圭・森へ行く日@彫刻の森美術館。探求の人が作品との間に作り出したものの変遷。

          作品との間に生まれる何か、について感じさせられた。 ■舟越圭の作り出す存在には惹きつける何かがある。 2008年の夏、東京都庭園美術館で「夏の邸宅」という展覧会があって、何度も足を運んではそこに佇む作品たちと対面する時間を味わった。 一つの作品に引き寄せられて10分も20分もそこに佇んでしまい、一度離れてもまた名残惜しくてそこに戻ってしまう、ということはあるのだけれど、何度も通ってしまうというのは、この「夏の邸宅」一度きりである。 彩色された木の人物彫刻に大理石の瞳。

        • アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界@府中市美術館

        • 手塚雄二展 雲は龍に従う@そごう美術館

        • 日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション@東京都現代美術館

        • 舟越圭・森へ行く日@彫刻の森美術館。探求の人が作品との間に作り出したものの変遷。

          『アビゲイル』吸血バレエアクションホラー・B級バンパイア映画万歳!

          ■億万長者の娘を誘拐した寄せ集めのプロ集団だったが、実はその娘は吸血鬼で、監禁場所の屋敷で逆に襲われるというお話。 予告動画を見て、ネタバレじゃん、と思ったけれど、そういうサスペンスを求める映画ではなく、吸血鬼少女12歳がバレエの技で華麗に襲ってくるスプラッター気味おばかアクションB級映画だったので、難しいことは何も考えずに存分に楽しめた。 ■吸血鬼映画というと『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』とか『僕のエリ 200歳の少女』とか、エグさの中にも、ちょっと文学的ロマン

          『アビゲイル』吸血バレエアクションホラー・B級バンパイア映画万歳!

          『エイリアン:ロムルス』シリーズ全体への愛にあふれた原点回帰

          ■フェデ・アルバレス監督は完全なエイリアン・マニアである。perfect organismならぬperfect alian maniaだ。 その確信にあふれた愛が不朽のSFホラー『エイリアン』の再構築を実現させ、’あなたの悲鳴は誰にも聞こえない’ 宇宙での恐怖の世界に再び僕らを突き落とす。 ■リドリー・スコットがデビュー2作目で撮った『エイリアン』(79)は、暗闇と薄い光と水と蒸気の世界という彼の独特の映像世界が新しいSF表現を打ち立て、ダン・オバノンの超絶構想をもとに徹底

          『エイリアン:ロムルス』シリーズ全体への愛にあふれた原点回帰

          ■【映画】エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス 意味を喪失した世界に残る確かなもの

          おばかと哲学と家族愛がみごとに溶け合い、さらに想定の上をいくものを心に残してくれる傑作だ。 ■中国系の移民家族が経営する冴えないコインランドリー。店主のエヴリンは娘の問題や、ややこしい父親、優しいだけで頼りにならない夫、くせのある客たちの混乱のなかで納税の不備で税務署に呼び出され、精神的緊張はピークに。 夫と車椅子の父親を伴って税務署を訪れたエヴリンだったが、エレベーターの中で突如夫が別人格になって、お前が世界を救うのだ、と告げられる… ■ここからのカオスが素晴らしい。

          ■【映画】エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス 意味を喪失した世界に残る確かなもの

          ■映画『マッドマックス:フュリオサ』今度は「物語」だ!

          ■『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の超絶V8祭りから9年。 その前日譚としてフュリオサの物語が語られるといったら、もう行くしかないでしょう! 前日に『マッドマックス 怒りのデス・ロード』をアマゾンプライムで見返して、すっかりウォーボーイズ気分となってV8!V8!と心の中で叫びながら映画館に突入! しかーし! マッドマックスといいながら、『フュリオサ』はぶっ壊れていなかった! そう、ちゃんとした映画だったのだ。 ■物語はフュリオサが母親が目の前でバイク野郎ども

          ■映画『マッドマックス:フュリオサ』今度は「物語」だ!

          ■【映画】エクス・マキナ 人間らしさ、衝動、内なるクオリアと色彩豊かな世界

          ■AIやアンドロイドを通して「人間とはなにか」について考えさせるというテーマはいつでも魅力的だ。そのなかでもこの『エクス・マキナ』は一歩引いた知的な目線でそれを語る独特の味わいを持っていて、それが観る者の心をぞわぞわさせる一級のサスペンス映画だ。 ■巨大ネット検索企業の社長の広大な別荘地に招待される青年が出会ったのはAIを搭載した女性ロボット。彼のタスクは「彼女」が人間とみなせるかを判定することだった・・・。という筋書き。 チューリング・テストという、対象が機械か人間かを

          ■【映画】エクス・マキナ 人間らしさ、衝動、内なるクオリアと色彩豊かな世界

          唐組・第73回公演 泥人魚 2024.6.2(日)新宿花園神社 メルヘンと生の泥との間に

          唐十郎が亡くなって一か月になる。 高校時代の青春は芝居で、2年生の時に拙くもオリジナルの作・演出をした作品の原動力になったのは1985年の状況劇場・新宿花園神社赤テント公演『ジャガーの眼』。 大学生になり、社会人になり、赤テントどころか芝居もまったく見なくなり、はや30年。 それでも、NHKで録画し、もはやダビングを繰り返した裏ビデオのように劣化してしまった『ジャガーの眼 ’85』を引っ張り出しては、その破天荒な熱情と歌とコトバに自分を取り戻す。そんなことを繰り返してきた。

          唐組・第73回公演 泥人魚 2024.6.2(日)新宿花園神社 メルヘンと生の泥との間に

          宇野亜喜良展・東京オペラシティ アートギャラリー

          90歳を超えてもなお探求を続けるイラストレーター・グラフィックデザイナー。 昭和40年代へのあこがれもあって見に行ったわけなのだけれど イメージの幅が広すぎる。。。。 当初思い描いていた感じを大きく逸脱してました。 イメージをきゅーっと心に突き刺さる線やカタチにする鋭敏なセンス 圧倒的な画力 そして外にあるものを何でも吸収して試してみようという貪欲さ それを60年続けられてきたからこそ、90歳でまったく衰えを知らない質の高さを維持できるのだろう。 1960年代、70年代の

          宇野亜喜良展・東京オペラシティ アートギャラリー

          デューン 砂の惑星 PART2

          ドゥニ・ヴィルヌーヴ、好きです。 テッド・チャンの短編小説「あなたの人生の物語」をベースにした『メッセージ』で衝撃を受けて以来のファンです。 何がいいかというと 「見たこともない世界を体感する!!」 というような客観的な感想とか評価とかの余地もなく、身も心も映像の中に引き込まれてどっぷり浸かる、という感覚が素晴らしい。 モノトーンに近い抑えた景色と強い色彩の対比とか そういう映像の美しさに引き込まれるのはもちろんだけど、今回の『デューン パート2』は前作にも増して内臓を

          デューン 砂の惑星 PART2

          ファイアパンチ 藤本タツキ 

          生きて  予想する流れをことごとく重量級の斧でぶった切り続ける展開の連続が読むもの立っている場所を揺るがし続け、麻薬のように酔わせる反面、ともすると重く重なっていくテーマはそれぞれに焦点をあてて解釈を試みようとするほどに中心が捉えにくくなっていく。 だから、映画を楽しむように流れに身を任せ、映像体験として味わうのが吉だ。 そうするとおのずと、 ルナが、トガタが、ユダが、去り行く間際にアグニに発した 「生きて」 という言葉が浮かび上がってくる。 この言葉がファイアパンチ

          ファイアパンチ 藤本タツキ 

          ノスタルジア 4K修復版

          ■言葉というものを離れたときに、伝わるものがある。 ストーリーを追おうとすれば離れていき、 映像に身を沈めれば、心がそこに広がっていく。 これは、そういう映画だ。 遠ざかれば遠ざかるほど強くなっていく故郷や家族への想いと どうにもならない現在と それでもなお、そこに希望を生もうとする私 色彩と画面構成が、 それを区分しながら同時に溶け合っていく ■アンドレイ・タルコフスキーに出会ったのは シネヴィヴァン六本木だったろうか いや、たぶん文芸坐あたりだったような気もする 『

          ノスタルジア 4K修復版

          ゴッホ・アライブ 東京展@寺田倉庫

          全身、ゴッホに包まれる感覚。 深淵をのぞかせるような青と力強い生命を感じさせる黄色。 1888年から89年にかけて希望から絶望の奈落に落ちていくなかでゴッホが絞り出そうとしたもの、そのものが満ちてくる。 ゴッホアライブの映像と音響で包むという手法が、有無を言わせぬ力をもって、この3作の色彩をこの身に染み込ませる。 自ら命を絶つ直前に描かれたこの作品も青と黄色。不穏なカラスの群れに覆われていたとしても、ゴッホの生命は生きたがっていたんだと僕は思いたい。

          ゴッホ・アライブ 東京展@寺田倉庫

          舟を編む

          NHK BSで始まった舟を編むの第1話を録画でみた 主人公の編集者、岸辺みどり(池田エライザ)が突然、辞書編集部に異動させられて…、というお話。 主人公は異動のとまどいのなか、思ってもいないのに相手を傷つけてしまうことが続くのだけれど、辞書を開くことで「朝日の写真なんて…」とか、「辞書なんて…」とか、意識することなく使っていた「なんて…」という自分のことばの「クセ」が相手が大切にしているものを貶め、傷つけていたことに気づき、取返しのつかない自分の不用意さに慟哭する。 な