「愛が冷めた」は実はレベルの低い別れ方

男女関係において
「冷めた」という感情。

これって
すごく次元の低いことだなと思っていて…



というのも
そもそも『冷めた』に至るのは
相手に対する愛情がなくなったってことであって

その前段階に
「相手にこんなこと言われた」
「こんなことしてるの見てしまった」とか

相手が自分の中では許せない何かに
触れてしまったことを
“自分の物差し” で善い悪いでジャッジして

「はい、無いわ…」ってしているだけ。



相手が悪いことをしたわけじゃなく
自分の琴線に触れたことがイヤだっただけで

大事なのはそこで
善い悪いで相手をジャッジするのではなく
「どうして私はそれがイヤだったのか?」を掘り下げること。



そうすると大抵
「こうすべき」「こうあるべき」という
自分の中の思い込みがあって
そこをはみ出たことが許せないことが原因だったりするわけで、相手が原因ではない。



その「こうすべき」「こうあるべき」って
思い込みがなければなんとも思わなかったことかもしれない。

それを自分が相手のせいにして
許せない!ありえない!から
→愛情がなくなった!冷めた!となっているだけで

ただ他責にしているがために
「愛情がなくなった!冷めた!」と思い込んでいるだけで

許せないことやイヤだなと思ったら
「私はこう思ったんだけど、あなたはどう思う?」って聞けばいいだけ。

そしてお互いの意見を擦り合わせていくこと。


親子ですら
察することも理解することも難しいのに

他人である男女でなんて
もっとそれが難しいなんて当たり前で、
お互いを分かち合おうとすることは
お互いをより深く愛する醍醐味的なところでもある。


だからこそ
「はい、無いわ…」ってジャッジするということは、ただ自分の気持ちを伝えたり分かち合う努力を怠っているだけ。

お互いを分かち合う努力をするのが
面倒なのであれば、
それは最初から愛していなかったってだけ。



だから
「愛情がなくなった、冷めた」
もしこういう別れ方をしているとしたら

・自分と向き合うこと
・相手と分かち合おうとすること
から逃げている、ただの怠惰でしかないの。



本当に愛している2人であれば
・なぜ私はこの部分がイヤだなって感じたのか?
 をみつめ
・それを相手と共有して、
 お互いの気持ちや意見を聞き
・今後どうしていきたいとお互い思っているか?
を話し合えるはずで

その向かいたい方向が異なって
どうにも一致できないってときに
「愛しているけど、お互いの幸せのために
 別々の道を歩みましょう」って本来なるもの。


とりあえず
「愛情がなくなった…」「冷めた…」は
ただの自分の未熟さと怠慢だということ。

こういうことを理解し共感し合える
大人な関係、本当の愛がある関係が
私は好ましいなって思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?