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乗り継ぎ駅

高校の入学式を最後に、息子とは会っていません。


今は小学6年生の娘しか泊まりに来なくなりました。


その娘も、泊まりに来てもスマホかSwitchばかりで、会話をすることは殆どなくなりました。一泊しても合計一時間も会話していないのではないでしょうか。


たった数年で、ここまで親子との関係って変わるんですね。


ここ最近は子供たちの顔がふと思い浮かんでくると、寂しい気持ちになることが多かったです。



もう何ヶ月も途中で読むのを止めていた本を、何気なく読み始めました。


答えはそこにありました。


家族って、電車に乗り合わせたようなもんだ。最初は一緒に乗っていたって、いつか乗り継ぎの駅がきて、子どもたちは違う場所へ行ってしまう。
それまで隣りに座っていたのに。同じ景色を見ていたのに。揺られながらいろんな話をしたのに。
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でも俺だってそうだ。時期がきたら自然に、自分の意志で親と違う電車に乗り継いだ。そして美恵子(妻)と出会って、ふたりで同じ電車に乗って……そこにさつき(娘)が乗ってきたんだ。さつきはその切符を持って。
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~中略~
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だけど親子はいつまでも同じ電車に乗っていられない。だとしたら、乗り継ぎ駅に到着して子どもが席を立ったとき、ちゃんと次の電車に乗れるように信じて見送ることしか、親にはできないのかもしれない。

猫のお告げは樹の下でより抜粋


後半、涙をボロボロこぼしながら打ちました。


あはは。



乗り継ぎ駅が来たんですね。


息子と娘が次の電車に乗れますように。


2人を信じて見送ります。



ありがとうございました。






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