胡瓜畑攻防戦 13(完)

「ああ、やっぱ仕事終わりは冷やし胡瓜だなあ。」

夏の宵闇の風を頬に浴びながら、勇也はしみじみと言った。

「お美代ちゃんの作った胡瓜なら尚更、だろ?
 勇さん。」

「止めろよ、信さん!」

「頭、照れてらあーよ」

信幸のうどん屋台にドッと笑いが起きる。

「何だあーテメェらまで!」

「だってよぉー頭ったらなあ。」

「そうだよ、怪我なんざとっくに治ったのに。」

勇也の顔が赤く火照る。

「すっかりお美代ちゃんと若夫婦暮らしときてんだか
 らなあー!」

「馬鹿言ってんじゃねぇよ!
 ありゃあーお前ら、、今度の事で色々あったろうが
 、、だから、何だ、、そのお、、」

「お美代ちゃんが心配で、ひとりであの家には住まわ
 せられない、って事でしょうよ。」

遂に信幸の妻•紫乃までが参加し始めた。

「紫乃さん、、あんたまで加わっちゃあ、誰がコイツ
 らを止めてくれるんですかい?」

「あら、良い事じゃないですか。奥手同士で一向に進
 まなかったんだから、良い機会ですよ。」

「あっしら夫婦にとっちゃあ、お美代ちゃんは亡き恩
 人の一人娘。謂わば娘みたいな気分でさあ。」

「そうですよ、勇さん。ちゃんと責任取ってもらいま
 せんとね。」

「頭!ちゃんとしなせえ!」

勇也は周りから袋叩きである。

「勇さん。ひとつ屋根の下に寝ているんですからね。
 分かってますよね。」

こういう時の紫乃さんの迫力って、何なんだろう、、
勇也は最早、蛇に睨まれた蛙である。

「どうなんです!勇さん。」

「あー分かってますよ!
 責任持って美代を幸せにします!」

耐えられなかった、この圧に。
勇也は勢い宣言する事となった。

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ガラン!ガラン!

「えっ!」

激しい桶の落ちる音がした。

「ええっ!」

「ゆ、勇也ぁあ、、、」

そこには畑に胡瓜を取りに行っていた美代が、頬を真っ赤にして俯いていた。

「勇さんも隅におけないなあ。」

その後ろから医者の皆川良源が顔を出す。

「あんたぁーあたしの居ないトコで、何を馬鹿な事を
 大声でぇ、、、」

噛み殺した声と俯いた下にあるであろう目が怖い、、

「そういうのはねーまずあたしに二人っきりで言って
 からでしょう!この唐変木ぅ!」

また笑いがドッと起こる。
勇也だけは顔を一気に上げた美代の鋭い目に震えている。

「先生もお疲れ様です。わざわざお美代ちゃんについ
 て畑まで。」

「今日は鉄斎さんが急ぎの仕事で手が回らないってん
 でね、たまには身体を動かそうかとね。」

「そうでしたか。一杯飲まれますよね。」

「ああ、貰おうか。」

紫乃がサッと動いた時、良源の目にある物が映った。

「お紫乃さん、その襷にしてる紐の先にあるのは?」

紫乃が肩口にくるようにしてあるその紐の先端に、小さな網に包まれた朱い石がある。

「これは死んだ兄の形見です。田舎から着の身着のま
 まで参りましたが、これだけはとお守りにしており
 ます。」

「そうかい。そいつは大事なもんだ。いやな紫乃さん
 、そんな大事なもんなら懐に仕舞う方がいい。」

「そうですか?」

「ああ、江戸も人が増えてきた。強請られたり盗まれ
 たりしちゃあいけねぇよ。」

「ああ、確かに。早速そう致しますわ。」

紫乃はそそくさと網の先を引き切り、石を胸元に仕舞い込んだ。

良源はその石を見た事がある。
つい先だって調べてくれと、渡された珠と同じ物だろう。

「はい、先生。一献どうぞ。」

酒を持って酌をする紫乃は美しかった。

「勇也はさあーそういうトコがさあ!」

「美代、俺が悪かった!」

「頭負けるな!お美代ちゃん負けるな!」

酔った連中の声は良源には幸せに聞こえる。
これを捨てちゃあならねえな。

その為に隠れ人なんてのをやってんだからよお。

よく冷えた酒が乾いた喉に沁みた。


まほろば流麗譚 第一話
胡瓜畑攻防戦  完

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