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暑さの記憶

最高気温が35℃を超える「猛暑日」や、最低気温が25℃を超える「熱帯夜」は、いつの間にか日本でも珍しくなくなってしまった。字面を見ただけで、げんなりしてしまうような「酷暑」、とろけてしまいそうな「炎暑」など、暑さを表す言葉はいろいろあるもんだと変に感心しているうちに、今年の夏の暑さはもうすでに「命に関わるほど危険」なレベルに達している。

夏とはそもそも暑いものだが、初めて身の危険を感じるほどの暑さを感じたのは、2000年代に入ってからのことだろうか。銀座で地下から地上に出た瞬間、「こりゃあいかん!」と、あわててデパートに駆け込んだ。照り返しのきつい白いビルが砂丘のように見え、行ったことはないがサハラ砂漠にいるようだった。また、歩いて数分の図書館へ出かけようとしたときも、外に出ただけでギョッとなり、家族が「これは危ない」と言って車で送ってくれたこともあった。そんな暑さが今や普通になってしまったのだ。その昔、家でクーラーをつけっぱなしでいてはもったいないからと、涼しい山手線に乗ったままでいるなどの「暑さ対策」をとっていたこともあったが、もはやその程度の対応ではすまない。

思えば今から30年前の夏も暑かった。深刻な米不足をもたらした前年の冷夏から一転して、1994年は7月中旬から各地で猛暑日が続いた。ただ、暑いのは日本だけではなかった。初めて長期滞在するために訪れたウィーンでも真夏日が続いていた。それまでのヨーロッパ(とくに中欧)の夏といえば、朝夕は冷え込み、日中も暑くて28℃程度、湿気がないため過ごしやすいイメージだった。クーラー完備の施設など、ほとんどない。9月に入れば急に気温が下がり、そろそろヒーターが必要になる。ところが、その年は例外だった。

当時、まずはウィーンの街をよく知ろうと思い、日陰でも30℃を超えるような暑さが続く中、片っ端から市内のカフェを訪ねていた。カフェでコーヒーを頼めば、コップ1杯の水が付いてくる(それ以外は黙っていても水は出てこない)。ただ、日本でいう「ウィンナーコーヒー」のような豪華な飲み物を毎回頼んでいてはお財布が空っぽになってしまうので、必ずメニューで一番安いエスプレッソを注文していた。そうすれば、その店のコーヒーの味がわかるし、水も飲める。

旧市街の有名どころをほぼ制覇した頃、シェーンブルン宮殿にほど近いカフェ・ドムマイヤーへ出かけた。やはり暑さの厳しい日だったが、店にはもちろんエアコンなどない。オーストリア人もシエスタを真似しはじめたのか、客もまばらだ。窓が開いていても空気はどんより、もったりしている。座っているだけで吹き出る汗。熱いコーヒーなど飲む気にもなれず、ここらで元気をつけておかないとと、ちょっと奮発してアイス入りのコーヒーを頼むことにした。すると、「今日は暑いから」とコップ2杯の水が付いてきた。これぞウィーンのカフェ!と、感心した瞬間だ。本や雑誌でさんざん読んだとおり、客にとって居心地のよい空間を提供するのがウィーンのカフェなのだ。

地球温暖化の影響でオーストリアの夏もすっかり暑くなり、今でこそスーパーやショッピングセンターに行けば涼しく、市電やバスも冷房が効くようになったが(作動していてもまったく効かない、サウナのような車内で地獄の思いをすることが今でもあるが)、30年前にウィーンで唯一涼しいと思った場所は教会である。汗をかきかき、よっこいしょと重い扉を開け、中へ一歩足を踏み入れると、ひんやりとした空気に包まれた。今と違って観光客などほとんどいなかったし、長時間座っていても怪しまれないし、心も落ち着くので、暑さから逃れるにはうってつけだ。この隠れ家的な「避難所」を発見したおかげで、その夏も、その後の数々の暑い夏も乗り切ることができた。

暑さの記憶をたどっているうちに、だんだんと頭がカッカしてきた。パソコンもフル回転すれば、CPUファンが回り出す。人間様の頭もそろそろ冷やさねば。


夏の避難所

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