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ぐにゃぐにゃの世界

気がつくと、いつも“ここ”にいるように思う。

楽しい時間はすぐに経ってしまい、いくら一瞬一瞬を大切に、意識しながら過ごそうとしても、無理だ。いつのまにか、また“ここ”でこうしている。楽しいことは待ち遠しいのに、やって来たら最後、あっという間に終わってしまう。

逆に、イヤなことは憎らしいほどすっと訪れる。「その日」はずっと遠くに、カレンダーの先の先にあって、「まだ来ないよ」とにんまりしていても、みるみる1か月後に迫り、1週間後になり、明日になり…… もう観念するしかない。

つい最近まで、時間は一直線に進むものだばかりと思っていた。現在を挟んで、過去と未来が真っ直ぐ並んでいるイメージだ。同じことは二度と起きないし、先のことはわからない。それでも、時はひたすら前へ進むばかり。砂時計の砂のようにさらさらと過ぎていく。止めたくて、いくら念じても、止めることはできない。

だが、どうも違うらしい。

今年もあの花が咲いている。
今年もあの鳥が鳴いている。
今年もあの青い空が見える。

そう思った瞬間、ちょっとだけ時間が止まることに気がついた。そこでは「あの時」が不意によみがえる感覚もある。

それだけではない。「明日の今頃、来週の今頃、来月の今頃、こうしているんだろうな」などと想像すると、そのとおりになることは多いし(もちろん、ならないこともあるが)、いわゆるデジャヴなんて現象は、思えば昔からよく起きる。しかも、ついこの間まで一緒に月を見ていた人々は、今は地球の裏側で太陽を見ている。ここは夜で、自分は月を見ているのに。時間が逆転している感じだ。

多くの学説にあるような、直線的でない時間と空間の存在が少しだけわかってきた気がする。今、自分がいるのは、本当はドラえもんのタイムマシンで移動するときにくぐり抜けるような、ぐにゃぐにゃの世界なのかもしれない。映画や小説に出てくるタイムトラベルも、本当は気づかないまま体験しているのかもしれない。そう考えると、この先に待っている「イヤなこと」とも、もう二度と戻らない大事な「あの時間」とも、うまく付き合っていけるように思えてくる。

こんなふうに、ああだこうだと思いを巡らせるのは、決まって ひとりで“ここ”にいるときだ。


この夏も咲いていた

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