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コロナ禍でみる自分と写真

 先日、「自分にとっての写真って何なんだろう。」と考えることがあった。色々考える中、ふとコロナ禍のことを思い出した。未曾有のウイルスに翻弄された奇妙な数年間、あたりまえでなかった数年間を乗り越えるのに、写真が自分にとって大きな支えになっていたような気がしたのだ。
 この記事では、コロナ禍の中、写真とどう付き合っていたのかを検証しつつ、あの頃を振り返っていこうと思う(もしかしらシリーズ化するかも)。

・コロナ禍初期にみる自分と写真

図1 コロナ禍の年表(高槻市営バスHPより引用)

2020年の4月、大学2年生に進級したての頃に第一回の緊急事態宣言が発令された(図1)。これは本格的な行動自粛の呼びかけを意味するものだった。この時の私のメインの被写体は野鳥であった。当然外出しないと撮りに行くことはできないので、大きな痛手となった。また、桜の季節でもあったため、桜満開の京都を撮りに出かけるのを楽しみにしていた時期でもあった。「不要不急の外出は控えよ」とのお達しの中、どの様に考えていたのか、当時のSNSへの書き込みが残っている(図2)。

図2 第一回緊急事態宣言に際して

この文章からは、「自分にとっての写活」と「世間からみた写活」の間で葛藤している自分の姿が見えてくる。
 写真を生業としてでなく、趣味で行なっている自分が「写真を撮りに出かける」ということは、世間から見れば「不要不急の外出」にはならない。当時の世間の考えからすると、「趣味ぐらい我慢しろよ。皆んな我慢してるんだし、何より外出することで感染が拡大したらどうするんだ。医療従事者にも負担がかかるぞ。」というのが最もだったと思う。自分もこれは承知していて、当時の霧にかかった様な状況では「家に完全に引き篭もる」のが、とるべき手段だったのかもしれない。しかし、例え趣味といえども、自分にとって写真を撮りに出かけることは、生活の重要な一部になっていた。直感的に「このまま写活を完全停止して、家に引き篭もるのはヤバイ気がする。逆に心と体が澱んでしまうのではないか。」と感じた。であるならば、批判は覚悟の上で、なんとか感染を広げない形で写活を続けていきたい、そのためには何をすればいいかを考えてみよう、という立場をとった。
 では、どういう対策をとったのか。まずは単純に撮りに行く機会を減少させた。その証拠に、意見表明をしてからの投稿は撮り溜めた過去ピクがメインになっている。次に、出かける場所も工夫した。有名な桜の観光地に行くことを我慢して(おそらく人はいなかっただろうが)、近所の桜を撮ることにした。それも、人が密集しない大きな公園や河川沿いを選んで撮りに行った。移動の際も、電車は使わず自転車で移動をした。こういった工夫のおかげか、コロナ禍中一度も感染することなく生活ができた。
 今振り返ってみると、結果論だが、当時の自分の判断は間違いではなかったのかもしれない。大学の方も、コロナ対応に追われ、授業はオンライン(コロナ初期は、ZOOMなどを用いたフレキシブルな対応はまだなく、オンライン上に提示された資料をみて自学するといった形だった)で、課題に追われ息が詰まりそうな生活だった。本来は学校に行ってこその実験系の授業も、資料の提示のみで、実験をしていないのにレポートを提出するというような意味のわからない状況であった。このような状況で、学業に身が入らず、成績が落ちたり、精神的に滅入ったという話も割と聞く。写真がなければ、自分も気が滅入っていた可能性が高い。禍中、ささやかに写活をすることで、気を晴らすことができたのではないかと思う。

・写真の効果
 実際、写真を撮っていると不安や蟠り、落ち込みから解放される。この解放というのは、二つのタイプがある。一つは写真を撮る過程で出会う「世界の素敵」を噛み締めることで、マイナスな思考を塗り替えるタイプ。もう一つは、モヤモヤした気持ちを紙に書き出すと心が楽になる様に、不安や落ち込んだ気持ちのまま写真を撮ると、その感情が写真の雰囲気となって、画に乗り移ってくれ、結果的に解放されるタイプである。このようなリフレッシュ効果をもつ、写真を撮るという行為は、ある側面からみると、私にとってはヘルスケアのようなものなのかもしれない。

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