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短編「幻想物語/水の妖精」

私の居住地、山手の住宅街から山へ海抜300mの擂鉢を伏せたような山の麓には市が整備した森林公園が広がっております。ハイキングコースに隣接した場所でも有り犬の散歩に足を延ばす人も多く樹々に囲まれた大池には時としてカワセミが見られます。

公園内には勿論、案内板も有りますが、細い脇道は
地図にも載っていなくて偶に犬の散歩序に探索する人も居るようでした。

脇道の奥から滝の流れ落ちる音が聞こえるのですが、
其のような場所を見付けた人はいませんし猪に出会い
そうで奥の方へは誰も行きません。

住宅街には一際目立つ大邸宅が有りました。
500坪の敷地に洋館風の建物。邸宅から離れて純和風の
建物が有り、奥様が裏千家の流れをくんだ茶道教室を
開いておられました。

其の御宅には風変りな若者が居りまして愛犬と散歩に御出掛けの時に、偶々、出逢うと丁寧な挨拶なさる珍しい若者です。

名前は幹男と申しまして身長180㎝の瘦せ型、顔立ちは俳優にしたいようなイケメンの有名国立大学の2年生。と申しますと頭脳明晰、将来を期待される若者と思われそうですが.....

さて、幹男君は大学に行く以外は彼女がいる様子も無く家からは
ハスキー犬のウルフと散歩に出る以外は自分の部屋に籠り、
只管、読書に耽って居ります。其の書籍が、騎士道物語とか
歴史物語、空想小説が多いのです。

散歩をしながらも何やらブツブツと一人芝居などしながら歩く
ものでウルフが心配そうに見上げています。

或る日、何時ものようにウルフを連れて散歩に出掛けた幹男君は
久し振りに森林公園の方へと足を向けました。

例の細い脇道に入ると、やはり滝の落ちる音が聞こえて来ます。
以前から気になっていた幹男君は水音のする方へ進みました。

その時、何処からでしょう兎が一羽、跳び出して来ました。
其れを見てアッと言う間に繋いでいた首輪からリードが外れ
ウルフが追い掛けて行ってしまったのです。

然し、幹男君は動じもせずに道を続け奥へ奥へと水音のする方へ何かに導かれるように向かうと今までに見た事の無い場所に辿り着きました。

高く聳える岩山の割れ目から滝が下の泉に流れ落ちて泡立っています。
水は緑にそよぐ葉陰に見え隠れしながら水玉となって砕け落ち
楽器を奏でるような音をたてています。

水が淵に流れ込む時には、何とも形容し難い歌のような人の
名前を呼ぶような響きを持って落ちます。

幹男君は、泉の中にキラリと光る何かを見たような、
いや、見詰められているような不思議な感じを持ったのです。

ふと気が付くと、どうやって登ったのか幹男君は岩場の上から
見下ろしています。
そして一段下の岩場に一人の絶世の美女が長く裾を引く薄衣を
纏い座っていたのです。

ゾクッと背筋に冷たいものが流れた幹男君ですが、美女の長い髪と長い睫毛に縁取られた瞳は怪しく緑に光って見え、艶やかな白い肌は透き通るような美しさに目が離せなくなり神秘の瞳に魅せられてしまったのです。

彼女は幹男君に気が付くと
「さぁ、此方へ降りて来られませんか」と
水晶の如く響く声で呼び掛けました。

幹男君が岩場を降りながら見ると彼女は深淵に浮かび彼に手を
差し伸べています。

幹男君が淵に着くと彼女の腕が彼の首に巻き付いたのに驚く
間もなく、次の瞬間水音と共に水中へと頭から落ちました。
後には水の波紋が広がって行きました。

所が、幹男君は水に落ちたにも関わらず溺れた感覚は無く
魚のように自由で美女に連れられて水底を動きまわれます。

周りには青く透き通った美しい模様の魚が群れとなり水草の
間を抜けて泳ぎ廻っています。

水底の岩に美少年達が腰掛け水晶の竪琴で水の流れを音符にグラスハープの音に砂金が落ちて行く音を混ぜたような旋律を優雅に奏でております。

何時の間にか、幹男君は大広間の水の揺り椅子に座って百花繚乱の如く花が咲き乱れ水の流れ揺蕩う中、水晶の旋律を歌うギリシャ彫刻のような美少年達の奏でる竪琴のハーモニーの優雅さにウットリと...

幹男君の揺り椅子の周りを美女達が囲み次々とグラスに美酒が注がれ彼が飲み干す間に美女達はロンドを踊りながら離れて行きます。

彼を水に引き込んだ美女が再び彼の首に腕を巻き付け冷たい唇を彼の唇に
重ねると、幹男君は周りの物が虹色に霞んで行くのがみえました。
然し苦しくは無く更に深く沈んで行くような感覚に捉われて目を
閉じました.....

水底から引き上げられた様に、ハッとして眼を開けると岩場の滝が落ちる
場所で、辺りを見回すと先程と同じく流れ落ちる水は緑にそよぐ葉陰に見え隠れしながら水玉となって泉に砕け落ちて行き.....


もと来た道を歩きながら振り返ると聳える山も滝も消え去り兎が飛び出した場所に戻って居ります。兎を追って行ったはずのウルフが不思議そうに主人の顔を見上げていたのです。

其の後、幹男君は何度かウルフを連れて脇道に入って行ったのですが、彼が見た全ての物も滝もなく唯、高く聳えていた岩山の存在を示すかのように作者不詳の作品でしょうか、美しい乙女の
塑像が微笑みを浮かべ静かに立っておりました。(終わり)
 

モーリス・ラヴェルのピアノ曲
「オンディーヌ」と「水の戯れ」を聴きながら。