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「世界、あるいはユートピアへの旅―『難波平人―世界集落、その魂を描く』を見て」補遺+これからの投稿について

ついに記念すべき一つ目の記事を投稿できました。本稿では、難波平人展についての補足と、これからの投稿についてお話します。

謎の紳士

 東広島市市立美術館に難波平人展を見に行った。展覧会図録を購入し、美術館を後にしようとしたとき、突如背後から「こんにちは!」と声をかけられた。振り返ると白髪の、上品なスーツを身にまとった紳士が立っていた。
 「難波です。」とその紳士は名乗った。そう、その人こそ今回の展覧会作家、難波平人先生だったのだ。
 「いやあ、今日来ていただいて、図録も買っていただいてありがとうございます。」と気さくに話しかけてくださった難波先生。私はまさか作家本人に声をかけられるとは思ってもおらず、あたふたしてしまった。なんとかあいさつし、自己紹介や自分の興味関心を話して、最後に名刺を交換しお別れした。
 きっと難波先生は会期中美術館のロビーにいて、来館者に声をかけていたのだろう。とても気さくで、あたたかい印象を受けた。

「難波平人」との最初の遭遇

 私が難波先生の作品を見るのは今回の特別展が初めてではない。おそらく初めて見たのは中学生のころだったと思う。知り合いの作家の方から広島県立美術館での二紀会展のチケットをもらい、見に行ったときだった。難波先生はこの二紀会の理事をつとめており、当然その展覧会にも出品していた。そのときどんな作品を出品していたかは残念ながら記憶にない。しかし、中学生で二紀会がどんな団体かもわからなかった私でも、この「難波平人」という作家が二紀会という組織において重要な位置にいる人だ、ということはわかった。

展覧会の印象

 告白する。今回、東広島市立美術館で回顧展が開かれると知ったとき、実は少し反感を持っていた。
 同美術館は2020年、東広島市の八本松という場所から現在の場所に移転した。リニューアルオープン後、美術館も軌道にのり、秋にどんな展覧会をするのかと楽しみにしていたところ、難波先生の展示があると知り、なぜ難波先生なのかと思った。
 難波先生の名は東広島市のみならず、広島県の美術界で知らない人はいないだろう。二紀会理事、二紀会広島支部顧問をつとめ、さらに教育者として広島の芸術振興に尽力してきたいわば重鎮なのだ。私はその業績は不勉強ながらもちろん知っていた。
 そんな難波先生である。すでにその評価は不動なのだ。私は公立美術館はもっと若手作家に展示してもらうべきだと考えている。せっかくリニューアルオープンしたのに・・・という思いがあった。
 とはいえ、せっかくの機会だからと今回見に行ったところ、その作品に圧倒された。「大作主義」を掲げる同氏の圧倒的な作品は、私の青臭い反骨心をへし折るのには十分すぎたのだ。作品一つ一つに厳しさ、気迫を感じた。
 美術館を出る際に会った難波先生は微笑みを浮かべ、全く高圧的な印象はなかったが、私は非常に緊張した。もちろん突然声をかけられたこともあったが、直前までその作品に触れ、その迫力を感じていたことも影響していたに違いない。きっとこの人はあの笑顔の裏に、燃え滾る情熱を隠していたのだ。そんなことを勝手に想像していた。

これからの投稿について

 以上、最初の投稿となった難波平人展に関する補足をしました。ここからは、今後の投稿について書きます。
 今後も美術関係の話題を中心に投稿していくつもりです。誰かに見せる、というより自分の考えを整理するものとしての意味が強いのですが、インターネットという公共の場に出す以上、読んでくださる方に楽しんでいただけるような文章が書けるように努力していきたいと思います。
 記事の内容としては、全国的な知名度の高い展覧会よりも、地域で展開されるローカルな展覧会を扱っていきたいと考えています。全国的な展覧会は大手メディアや美術関係の雑誌が取り上げる一方、地域で展開される小さな展覧会は一部の関心のある人以外には知られることがないからです。私の記事をきっかけに、地元の展覧会が様々な場所で認知され、より深い美術への関心につながれば幸いです、
 自分の文章を誰かが見る、というのは正直恐怖も感じます。この恐怖を忘れず、常に「書かせていただく」という気持ちで投稿していきたいと思います。