『正常』とはなんなのか

 最近、ようやく普通の値にかなり近づいてきた自分の血液検査のホルモン値の項目の結果をみながらぼんやりと思うことがある。
 正常とは一体なんなのか、と。

 当方の持病であるバセドウ病とはもう5年ほどの付き合いになる。バセドウ病とは、平たく言えばホルモンを分泌する甲状腺が暴走状態にある疾患である。症状としては息切れや心拍数の上昇、手の震えなどが上げられる。
 身体の異常を理由に受信した内科で紹介状を貰って向かった大学病院。そこでの初回の検査結果でのホルモン値は、平均の上限の凡そ38倍という数値だった。
 当時自分は高校三年生に上がる直前の頃。なぜそんな数値になるまで気づかなかったのかといえば、学校で受ける血液検査ではこの項目を検査しないのがひとつ理由である。該当の項目は検査結果が出るまで1時間ほどもかかる。
 だから自分のホルモン値が、もっというと甲状腺がいつから暴走状態にあったのかは自分でもよくわからない。元々運動が苦手で嫌いな自覚はあったから。

 とはいえ、ここしばらく自分のなかで一つの仮説を出してはいた。あの異常数値は、甲状腺の暴走は、確かに医療的な数値の区切りから見ればどう見ても異常値だった。けれど、おそらくは肉体の動きとしては至極正常なものであったのではと。
 精神疾患として自分がPTSDを持っていることは前回のnoteで記した。フラッシュバックこそそうそう起こらないが、否定的認知と過覚醒症状と回避行動が自分は強く出る傾向にある。
 おそらく自分の場合はこの過覚醒の症状がバセドウ病と密接に結び付いている。前述のバセドウ病の症状から察されるかもしれないが、増加するホルモンは交感神経に関わるものだ。

 視野の外から殴られる経験が幾度もあった自分は、探知や感覚の方面に妙な発達をしている。視野の外でも人が何人、どこでどんな動きをしているのかがおおよそ把握できる。こう記すとまるで漫画やアニメの登場人物の様だが、実際の現状としてはこれが自分のコントロールでオフにできないのが困る。これまた前回のnoteで触れた後天性の聴覚過敏も警戒のための異常発達だろう。
 ついでに本来聞こえた情報から要らないものは認識しないようになる人間の脳のシステムも自分は稼働していない。全てを情報として拾い上げるため、外では物理的に音を遮断するためのヘッドフォンが手放せないのが実情だ。
 話を戻すと、過去の経験から自分は安全地帯と認識できる場所以外では常に警戒状態であった。過覚醒とはそういうことである。
 そう、警戒状態。おそらくこの警戒状態を維持するために、自分の脳は甲状腺にホルモンを分泌し続けるように命令を出していたのではないかと。
 警戒状態を維持するためには常に交感神経が優位でなければならない。そのためには、常にホルモンが分泌していなければならない。もっと、もっとと。その結果が、医療的に見ればどうみても異常な数値だったのではと。

 数値が落ち着いているのは、今年度から臨床心理士の先生の相談センターを週1で利用し、かつ大学の対面授業に適応して人のいる場所に慣れたというのが影響しているのだと思う。
 すぐ後ろの席に座られない限り、基本的に過度の警戒状態にはならなくなったから。とはいえ誰かの怒鳴り声や授業中の私語でスイッチが入るのでまぁまだまだではある。
 そして、この仮説が正しければ永続的な完治が保証されることは無いということになる。自分の日常における警戒状態と関連しているのならば、環境が変わればまた少なからず警戒は出る。いくら人間と関わっても、教育に携わる者が本来しなければならないことを放棄し、人を害したものが裁かれずに自由に生きているという記憶が消える訳ではない。
 人類に対して、どこかできっと恐怖は抱き続けるだろう。
 故に、どこかしらでこの自己の性質に折り合いをつけて生きていかねばならない。
 どうしようかなぁ、とは思うが別に絶望とかはしない。とうに絶望する時分は過ぎている。実際問題困るのは医療費くらいで、あとは今さらである『自分が世間一般の普通からは外れている』ことだ。後者についてもとっくに「まぁいいか。それでも」と自分のなかで結論が出ているのであまり問題ではない。どこまで行って自分にとっては今更の話だから。

 とはいえ、以来度々考えはする。正常とは、普通とは一体何なのかと。
 その問いの、自分にとっては最もたるものがバセドウ病なのだろう。
 出る杭は打たれる、最低ラインとして『普通』を求める、そんな世界においての普通や正常とは一体何なのか。そこから外れているであろう者としては、その普通や正常という感覚自体が実体の無い幻の様に見える。
 そして、そんな正常や普通の感覚に裏付けられた『常識』や『当たり前』の感覚も、時として同様に上手く掴めないものに思えるのだ。

 他の人たちは、一体具体的に何を以て『普通』を定義し、『正常』というのだろう。
 自分には、よくわからない。
 ただ、そんな『普通』で『正常』な人たちが作り上げた世界というのは、やっぱり俺には少し生きづらくて、少し怖い。

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