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そこに科学はあるんか?

最初に、東京のインフルエンザ流行がピークアウトした模様です。
「集団免疫がないので大流行する!」と煽っていた「専門家」の皆さん、お疲れさまでした。

「マスク信者」の方々は、またしても「マスクのおかげだ」と、霊験あらたかな「マスク大明神様」に三拝九拝されるのでしょうか。

思い起こせば1年前、インフルエンザが全滅し、コロナウィルスがぐんぐん勢力拡大しているのを見て、

「マスクはインフルエンザを防いだが、コロナは防げなかった」

と欣喜雀躍していたくせに、一転して

「マスクのおかげでインフルエンザを防げた」

とおっしゃるつもりでしょうか。二枚舌にも程があるというものです。

どうも「信者」の皆さんは、私の知っている「市販の不織布マスク」とは違う「極上の逸品」を愛用されているらしい。
そのときそのときで、インフルエンザを防いだり防がなかったり、コロナを防いだり防がなかったり。ウィルスが付着したとたん、「何のウィルスかを瞬時に識別できる機能」が備わっていると。

それなら、もはや「PCR要らず」ですね。
きっと、どこぞの宗教団体の壺と同じで、値段もびっくりするほどお高いのでしょう。


話は変わって、大地真央さん風に言えば

『そこに科学はあるんか?』

「ワクチン反対」なのに、なぜか「マスク激推し」の宮澤大輔医師が、木下医師と忽那医師に訴訟を起こされました。ツイッターでのつぶやきに対する「名誉棄損」だそうです。
宮澤医師は「スラップ訴訟だ」とお怒りの様子。

私には、「論点のすり替え」「問題の矮小化」にしか思えません(※個人の感想です)。

どちらの味方でも(どちらの味方でなくても)、いったん深呼吸して心を静めてください。
スーハー、スーハー、スーハー……はい、冷静になりましたか?

ここからが本題です。

この問題の本質は、「ワクチンの効果(あるいは逆効果)は科学的真実か?」ということです。

日本国民の実に9000万人が1回以上接種したワクチンに「毒性」があった場合、過去の薬害事件とはまるで比較にならないほどの「大惨事」となります。もはや取り返しがつきません。
領海侵犯する漁船や上空を横切る気球など、どうでもいい。自国政府が推奨したワクチンこそが、大げさではなく「国家存亡の危機」となるのです。
9000万人の健康が危険にさらされるうえに、その補償として国家予算数年分の費用が飛んでいってしまうからです(誰がその原資を賄うのか、よく考えてみてください)。

これほど重大な問題を前にすれば、「個人の名誉」など(当人以外には)「取るに足らない些末事」と言えるでしょう。
2人の人間のプライドより、「9000万人の生命・健康」のほうが圧倒的に重いのは間違いありません。

木下医師と忽那医師は、本当に自分の主張が正しいのなら、それを証明するためにも、「民事訴訟」など起こすのではなく、「反ワクチン派」を相手に堂々と「公開討論」を申し入れるべきだと考えます(井上先生、福島先生、宮沢先生は必ず受けてくれるはず)。
そこで「ワクチンの有効性」を微塵の疑いもなく証明できれば、翌日から誰もが安心して接種会場に足を運べます。長い時間と費用をかけて裁判するより、彼らの悲願である「接種促進」にはよっぽど効率的・効果的です。

それこそ多くの国民が求めているものです。

互いにデータをそろえ、「法廷」ではなく「科学」の土俵に立って議論しなければなりません。これは純粋に「科学の問題」だからです。
科学を信奉する者として、科学者が「名誉棄損」を持ち出した時点で、みずから「科学を放棄した(不戦敗)」としか思えません(※個人の感想です)。

井上教授や宮沢准教授は、「デマ呼ばわり」されても、「名誉棄損」で訴訟を起こしたりはしませんでした。福島教授が起こした訴訟は、厚労省に対する「情報開示請求」です。科学者として、真実を知るための「正しいデータ」が必要だからです。

それとも、「科学論争」に持ち込まれると都合が悪い事情があるとか?

私は、宮澤医師の「マスク激推し」が科学的に誤りであることを、ずっと指摘してきました。彼が根拠として挙げた「マスク有効」のデータが極めてずさんで、信用に値しないものであることを書いてきました。でも、決して宮澤医師個人に対する誹謗中傷ではありません。

「科学的真理」の前には、「個人の名誉」などどうでもいい。
ただただ「真実」が知りたい。
私にとって価値があるのは、「誰が言っているか」ではなく、「何を言っているか」だけです。
それが「科学者」のあるべき姿ではないでしょうか。


確かに、(私自身も含め)「反ワクチン」「反マスク」のレッテルを貼られている方々は、ともすればSNS上でかなり過激・挑発的な言葉づかいをしています。大いに反省すべき点です。

でも、それには「是非に及ばない」背景があります。

「言論統制」です。

主流メディアがきちんと「反対派」の意見も同等に取り上げてさえいれば、誰も好きこのんでSNSで乱暴な物言いはしません。
ところが、「中立・不偏」でなければならないはずのメディアがそろって、一方的に「反ワク=キ○ガイ」のレッテルを貼り、3年間にわたって、ワクチンやマスクに疑問を呈する者を徹底的に排除してきたのです。

宮澤医師に乱暴な言葉づかいを強いたのは、ほかならぬ「専門家」たちであり、メディアです。彼に「賛成派」と同じだけ「発言の機会」を与えていれば、もっと冷静で穏やかに意見を述べられたはずです。

私は、「責められるべきはメディアの偏向姿勢である」と考えます。

それなのに、政府は今、SNSの弾圧にまで踏み込もうとしています。
それがどんな悲劇を招くか、想像できますか?
SNSで暴言を吐いているうちは、まだかわいいもの。多少の「ガス抜き」になりますから。

それすら禁じられてしまったら、あとは「実力行使」しか残っていません。
「暴力」以外に主張する手段がなくなってしまうのです。
歴史上の「革命」や「テロリズム」は、すべからく「言論の弾圧」から始まったことを、社会はしっかり認識しなければいけません。

私は、なんとしてもそんな事態を避けたい。
「たかが風邪」「たかがマスク」をめぐって同胞が傷つけ合うなど、絶対にあってはならないことです。

賛否両論が存在するのが「民主主義」。互いに主張を戦わせて「合理性」を競い合う。
そのときに大事なのが「エビデンス」です。

けれども、厚労省をはじめ各大学・研究機関は、データを歪曲し、捏造し、隠蔽し、あまつさえ、「反対派」の持つ「正しいデータ」を握り潰しています。これはもう「民主主義」ではありません。

裁判所がまだ正気を保っているなら、社会の現状をこそ厳しく断罪すべきです。
それができなければ……今の世代をもって、人類は滅亡し、地上から消え去るでしょう。

これまでも地球上では、多くの種が誕生し、繁栄し、絶滅してきました。その原因は、端的に言うと「環境の激変」でした。
いわば不可抗力だったわけですが、人類は史上初めて

愚かさゆえに絶滅する

という「残念な生き物」になるのです。

裁判所の「矜持」に期待します。
どうか「科学」と「民主主義」を信じる私の希望を裏切らないでください。


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