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マスクという「思い込み」

問)ここに2つの球があります。
1つは軽い発泡スチロール製で、もう1つは重い鉄球です。
空気抵抗のない「真空状態」で2つの球を同時に落とすと、どちらが先に地面に着くでしょうか。ただし、深く考えずに「直感」で答えてください。

①重い鉄球

②軽い発泡スチロール

③同時

結構な人が①を選んだのではないでしょうか。でも、正解は③「同時」
空気抵抗がなければ、「物体は質量に関係なく同時に落下」します。

「真理」は、しばしば「直感」に反するものです。そして、「直感」による「思い込み/先入観」は極めて強固なため、容易に修正することができません。
事実、「重い物体ほど速く落ちる」とアリストテレスが説いてからガリレオが登場するまで、人々はずっとそう信じ続けていました。あまりに当然過ぎるため、「実証実験」すら行われなかったのです。
結果、2000年(!)もの間、誰一人その「誤り」に気づかなかったというしだい。

「真理」に到達するには、「思い込み/先入観」を捨てなければいけません。まず「常識」を疑ってみることです(アインシュタインは「常識=偏見である」と指摘しています)。「理論」と「実験」によって証明されていないものを「直感」に頼って信じると、必ず失敗します。

「マスク」もそう。
多くの人が「マスクをすれば飛び散る唾を抑えられるから、感染防止効果があるはずだ」と考えています。
なるほど、「直感的」には正しそうに思えます。でも、本当にそうでしょうか。「重い物体ほど速く落ちる」という「勘違い」と同様、ただの「思い込み」ということはないのでしょうか。
「真理」であるために必要な「理論」と「実証」は存在するのでしょうか。

そもそも新型コロナは「飛沫感染」するのか。
根拠とされているのは、「同じ室内で会話をしていた複数人が感染した」という事例です。「直感的」には「飛沫感染」を疑わせますが、調査の段階で「飛沫以外の因子」はきちんと排除されたのでしょうか。

全員が共通の物体(ドアノブや電灯のスイッチなど)に触れていた場合、「媒介感染」の可能性が浮上します。「室内に全員が共通して触れた物はなかった」だけでは根拠になりません。部屋に入る前の段階(エレベーターのボタンや階段の手すり)で、すでにうつっていたのかもしれないからです。
あるいは、Aさんの次にドアノブを握ったBさんの手にウィルスがつき、Bさんが持ったマグカップに触れたCさんに……と「飛び石的」に感染が広がった可能性もあります。全員が共通の物体に触れなくても「媒介感染」は成立するのです。

そうした「ルートの特定」と同時に重要なのが、飛沫に含まれる「ウィルスの量」です。
「ウィルスが1個でも体内に入ると感染する」と誤解している人が多いようですが、そんなことはありません。感染するには「一定量のウィルス」が必要です。
感染者が飛ばす飛沫1粒の中には数百個のウィルスが混じっていますが、それだけあっても「活性(感染力)」を有しているウィルスは中の数個。そして、感染するには数百~数千個の「活性を持った」ウィルスがなければいけません。

だとすると、「飛沫感染」と断定するには、ウィルスが桁外れの感染力を備えている(わずか数十個で感染)か、感染者がひっきりなしに咳とくしゃみを繰り返すなど飛沫の絶対量が多くなければならないはずです(まかり間違っても「無症状者から感染」などということはあり得ない)。
なので、実際に感染者の飛沫を分析したり、どれくらいの量のウィルスを体内に取り込めば感染するかの実験を行わない限り、安易に「飛沫感染ぽい」という「直感」に飛びついてはダメなのです。

こうしたハードルを全部クリアして「新型コロナは飛沫感染する」となっても、「飛沫感染をマスクごときで防ぐことはできるのか」という次の大きな壁が立ち塞がります(マスクが無意味であることは、過去記事で詳しく説明しました)。

ことほどさように、「マスクの効果」はお粗末なくらい「根拠薄弱」なのに、多くの人が信じ込んでいるのは、相も変わらず「直感」に頼っているからです。
「マスクで感染を防げる」「重い物体ほど速く落ちる」は、同程度の錯覚/偏見/固定概念/先入観/思い込みなのです。

「何でも疑ってみる」ことが科学の出発点。
どれほど偉い学者先生が述べようと、常に「懐疑的」であることが、「真理」に到達するために必要不可欠な最低条件です。



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