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今回だけコロナと関係ない話

事情により、今回は「コロナ話」は1回お休み。
そちら方面を期待されていらっしゃる方は、スルーしていただいて構いません(次回は、また「コロナ話」に戻るつもりです)。


本日の話題は、こながの「本業」である「文学」についての私見です。


「乗り鉄」「撮り鉄」「駅鉄」「レール鉄」「時刻表鉄」……「食べ鉄」「呑み鉄」なんていうのまであるそうで、一口に「鉄オタ(鉄道オタク)」といっても十人十色。数十、数百通りに分類されるのだとか。
列車の外観を眺めるのが好きな人、それを理想のアングルでカメラに収めたい人、鉄道で旅をするのが好きな人、客車の内装や装備自体に興味がある人、レールやポイントといった細部を好む超マニアックな人、時刻表をめくって空想の旅を巡る人など、「鉄道」を満喫する手段はさまざまだそうです。

「小説を読む」という行為は「旅」に似ています。「本」という乗り物に乗って、「自分のまだ知らない地」を目指す旅路。日帰りの短い旅もあれば、数か月にわたる長旅もあり。
だから、というわけじゃありませんが、「文学好き」も「鉄オタ」と同様、幾つかの種類に分けられそうです。

私が重要視するのは「目的地」。行き先がはっきりしていない「本」に乗るのは苦手かな。それは必ずしも「予定調和で勧善懲悪の結末が好き」「どんでん返しは嫌い」ということではありません。
ストーリー自体にしっかりとした「向かうべき行き先」があり、紆余曲折はあれど、ともかくその「行き先」へ向かって前進していく。最終的に、無事に目的地に着くハッピーエンドもあれば、残念ながらたどり着けないバッドエンドもありますが、それは構いません。

サスペンス小説なら、まず何か事件が起こり、途中でさまざまな困難・障害が生じようと、最後には何がしかの「結末」に到着します。疾走する特急であれ、ゆったりした鈍行であれ、「解決」という「目的地(結末)」に向かって進んでいくのは同じ。
私にとっては、窓から見える美しい景色やおいしい駅弁、客車の豪華な内装(仮に水戸岡鋭治氏のデザインであっても)は「二の次」なのです(その良さがわからないのではなく、あくまで優先順位が下がるという意味)。

そんな私とは違って、「行き先」はどうでもよく、その他の要素に楽しみを見出す「読書好き」の方も大勢いらっしゃいます。これは、「撮り鉄」と「乗り鉄」に優劣差がないのと同じで、いい悪いの問題ではありません。単に好みの話です。

とつぜん、こんな記事を書こうと思ったきっかけは、50年ぶりの文庫化で話題の『百年の孤独』(ガルシア・マルケス)を読んだからです。
あとがきを寄せられている筒井康隆氏をはじめ、ネットでも絶賛の声が多数上がっていますが、正直、「目的鉄」の私にはハマりませんでした。

この小説は、私には「客車の豪華な内装を鑑賞できる」タイプの人たち向けの作品に思えます。高価な壁紙や照明、○○織のシート生地を理解できる人には、素晴らしい逸品なのでしょう。でも、私のように「鑑賞眼」の不足した読み手は、ただただ(文字量だけでも)「すごいなぁ!」と圧倒されるだけで、堪能することができませんでした。

恐らく、そうした「鑑賞眼」をお持ちの読者は、何度も読み返しては、そのつど、作者の細部の技巧を再発見するに違いありません。どうもこの小説は、そうした楽しみ方をすべき本のようです。
そういえば、昔、私にこの本を薦めてくれた友人は、太宰治と三島由紀夫の大ファンでした。どちらも、ファンが同じ作品を何度も何度も読み返す作家ですね。

余談ですが、「マジック・リアリズム」というのは、小難しい解釈を抜きにすれば、(私なりの解釈では)「寓意」ではなく一種の「おとぎ話」です。
大きな桃から男の子が生まれたり、イヌ・サル・キジが人間の言葉でキビダンゴを欲しがるなんて、非現実もいいところですが、誰もそこをツッコまずに話が進んでいきます。それをもっとリアリスティックに描写していくのが「マジック・リアリズム」。「そんなことあり得んだろ!」と思ってしまっては、作者の創造した空想世界を楽しめません。「これはそういうものなのだ」と割り切って読み進めるのがコツです。

もし私と同様に『百年の孤独』がハマらなかった方には、同じ「目的地が定かでない小説」でも、サマセット・モームの『月と6ペンス』やアルベール・カミュの『異邦人』なんかをお薦めします。短いぶん読みやすいですよ。

ちなみに、『百年の孤独』のすぐ後に呼んだのが、スティーブン・キングの中編集『コロラド・キッド』。
こちらは「行き先」が明確な小説なので、私なんかは安心してページをめくれます。でも、マルケスを鑑賞できる読み手には、「低俗な大衆小説」扱いされてしまいそう。何しろ、車内に読み捨てのタブロイド紙やビールの空き缶が転がっているような作品ですから。


以上、ちょっぴり「文学」に関する私見を述べてみました。
私とはまるで異なる「文学論」をお持ちの方もたくさんいらっしゃるでしょうから、あくまで個人の見解です。


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