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研究室を出て町へ出よう

繰り返し繰り返し述べてきたように

あらゆる科学は、まず「現実」を観測すること

から始まります。

それこそが基本中の基本。少なくとも私は、名だたる先人たちからそう教わり、自身でも肝に銘じております。

ある仮説があり、論理的にも筋が通り、研究室での実験でどれほど多くのデータを得られても、現実がそれとは乖離した様相を見せるなら、必ず「何かを見落としている」「どこかに欠陥がある」のです。
研究の設計に瑕疵があり、現実世界を正しく再現できていないのです。

最優先すべきは「現実」であり、研究室のデータではありません。
なんとなれば、科学とは「現実世界の現象を解き明かすもの」だからです。


ところが、「専門家」になればなるほど、この基本を忘れてしまいがち。
知らず知らずのうちに、研究データのほうを優先してしまいます。


とある研究者の方が、幾つかの論文を挙げて、いまだに「マスクは感染予防に効果がある」という記事を書かれていました。2年前でもなく1年前でもなく、つい最近のことです。

これこそまさに、「専門家」が陥る「データ・論文優先」の落とし穴です。

実験や調査研究でいくら「マスクの有効性」が証明されても、ワールドワイド(全世界規模)の3年以上にわたる、人類史上最も壮大な「観察」の結果は、

マスクに意味なし

でした。
集団の8~9割がマスクを着用しても、感染拡大を止めるどころか、わずかでも鈍らせることすらできなかったわけです。

これが「観測される現実」です。

となれば、「マスクの有効性を証明した」とする研究のどこかに瑕疵があったと考えざるを得ません。
だって、あきらかに「現実と乖離」してしまっているのですから。


私が見る限り、マスクを有効だとする論文は、ほぼ一様に

・一見マスクが有効に見える範囲・期間を(意図的に?)抽出している(期間と範囲を広げると有効性が埋没し、単なるノイズになる)

・マスク以外の干渉要因を無視している

・きちんとしたランダム比較になっていない

のどれかに当てはまります。


いずれにせよ、誰もが気づいているとおり、「現実社会」ではマスクに何の意味もありませんでした。

ところが、「論文第一主義」に取りつかれた研究者は、この現実に面と向き合うことができません。

なので、

「マスクは絶対有効である。だって、研究室でそういう結果が出ているのだから。となれば、世界中で感染を止められなかったのには、何か理由があるに違いない」

その理由として、ひねり出されたのが、

・不織布マスクではなかった

・多くの人が正しくマスクを着けていなかった

というものです。

でも、これは明らかに「心理バイアス」「認知の歪み」にすぎません。

なぜなら、

最も多くの人が不織布マスクを正しく着用していたであろう集団

つまり医療施設内でばかりクラスター(集団感染)が発生した「現実」とは真逆の説明になってしまいます。


「観測される現実」を捻じ曲げて、無理やり自身の「マスク有効説」に合わせようとしたために、かえって矛盾が広がってしまったのです。

この「認知の歪み」を正すには、一番の根本になっている

マスクは感染予防に有効

という前提から問い直すしかありません。

そして、

みんながマスクをしたのに感染は防げなかったという「現実」を正しく認識することです。

では、なぜマスクは意味がないのか?

を問うことで、「正解」へと近づいていくことができます。

そのためには、きっと専門外の「物理学」の知識も必要となるでしょう。ウィルスの挙動は立派な「物理現象」なのですから。


寺山修司は「書を捨てよ、町へ出よう」と訴えましたが、「専門家」こそ

研究室を出よ、町へ出よう(現実を見よう)

を心がけるべきではないでしょうか。

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