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「ルールだから」という愚かさ

「マスク着用はルールなのだからルールを守るべきだ」

という意見があります。
これぞ「思考停止・思考放棄」を絵に描いたような発言です。

先ごろ、「ブラック校則」が話題になりました。「下着は白でなければダメ」など、意味不明・根拠皆無の「ルール」が、ただ「ルールだから」という理由だけで連綿と引き継がれているのです。

これに疑問を持たないような人間は、とても未来を生きる資格がありません。早々に冥途へお引き取りいただきたい。根拠のない「ルール」は、ただの迷信・因習にすぎず、文化・文明の進歩・発達の妨げとなります。

「ルール至上主義者」たちは、最初の「目的」は何だったのかを完全に見失っています。そもそも「マスク着用」は「世にも恐ろしい新型コロナの感染拡大を防げるから」という名目で始まったのではなかったですか。だったら、「本当に効果があるのか」をきちんと検証しなければダメでしょう。それが何よりも大事でしょう。その結果、効果が証明されれば「正当な(根拠のある)ルール」として定着するでしょうし、効果がなければ「誤ったルールの撤廃」となるだけです。

ところが、「ルール至上主義者」は絶対に検証を求めようとはしません。検証されたら、自分たちの失敗が白日の下にさらされてしまうからです。そんな屈辱を味わうくらいなら、「コロナは死の病」「マスク大明神が感染を防いでくださる」というぬるま湯の幻想に浸り続けたいのです。

まあ、効果が科学的に認められるくらいなら、「ルールだから」という論理は持ち出さないでしょうね。きちんとエビデンスを示せばよいのですから。それができないから、理屈もへったくれも(恥も外聞も)なく「ルールだから」の一点張りになるわけです。その姿勢が、すでに負けを認めたようなもの。

しばしば、企業や団体の「組織ぐるみの犯罪」がニュースになります。上司や上役から違法な指示・命令をされたとき、「ルール至上主義者」たちは、何ら抵抗することなく悪事に加担します。ルールの合法性・妥当性などは関係ありません。「自分の意思」「自己の倫理観」すら持たないのです。だって、指示に従うのが「ルール」なのですから。「人を殺せ」と命じられれば、唯々諾々と従うことでしょう。

こうして思考を放棄し、盲目的に「ルール」に従うことの恐ろしさ、主体性を失ってシステムの一部に取り込まれる恐怖は、心理学者スタンレー・ミルグラムが行った「ミルグラム実験(通称アイヒマン実験)」を見れば明らかです。あるいは、シャーリー・ジャクソンの傑作短編『くじ』にも、因習の恐ろしさが強烈に描かれています(ご存じない方は、ぜひネットで検索してみてください)。


「ルールだから」という理由しか拠って立つ基盤がないのなら、マスクを四重も五重も重ねて、おとなしく家に引きこもっていてください。

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