ヴィパッサナー瞑想と野田せいぞ

ヴィパッサナー瞑想と野田せいぞ

小学生の時、毎週日曜日に近所のお寺の座禅会に参加していた。
30分くらいだろうか、和尚さんが般若心経を読経し、20人くらいが面壁で坐っていた。

座禅でうまくトランス状態に入れるととても気持ち良い。お金もかからないし、なんとなく頭もスッキリするし良い趣味だと思う。

それから大人になり、多感な20代、mixiのコミュニティで募集していた高野山の卒業生主催の瞑想会に参加した。当時の資料を見返してみるとヴィパッサナー瞑想会と書かれていた。

そして現在、オモコロライターの野田せいぞさんがヴィパッサナー瞑想合宿に参加したという記事を見て興味を持ち、千葉の日本ヴィパッサナー協会の専用ロッジで10日間の瞑想合宿に参加してきた。

10日間の間は他の人と会話をする事、目を合わせる事、肉食、オナニー等が禁止されていて、決まった時間に菜食の食事をとり、決まった時間に瞑想をして夜にブッダに関する講話を聴くという生活を続けた。一日のほとんどの時間を瞑想をして過ごすのだが、最後はみなかなり憔悴した様子だった。

そこで実感として気づいたことがいくつかある。

まずは、怒りは暇つぶしだという事だ。別にその瞬間に嫌なことをされた訳でもないのに仕事で受けた嫌なことを思い出して嫌な気持ちになった。夜の講話でも「人の心は退屈を嫌う」とあったが、自分の心が怒りを覚えていることを客観視できたのと、意味なく怒りが湧いてきてきたのに気づいて、コレはただの心の自動操縦の動きだ、意志ではないし意味がないという事を実感として持てたのは大きな経験だと思う。

もう一つは殺意のインタラクティブ性について。合宿の間は仏教の五戒にのっとり、殺生が禁止されていたのだが、山の中のロッジというだけあって、とにかく虫が多い。足にムカデが這い上ってきたという人もいた。2槽式洗濯機の中にはでっかい蜘蛛もいた。そして寝室にはゴキブリがいた。そしてゴキブリが全く逃げない。緩慢とした動きでノソノソを壁を這っていた。

コレはとても印象深くて、ゴキブリは殺意を向けなければ大人しい生き物なんだなぁというのがわかった。街中で、住居で、学校で、ゴキブリを見かけたら皆がキャーと叫び殺しにかかる。そしてゴキブリはものすごい速さで動き回り必死に生きようとし、時には空を飛んで飛びかかってくる。

世の中、一般認識として非常にやっかいなものとされている相手でも、こちらから害意を向けなければ平穏に過ごせる相手というのもいるのだ。
コレも良い教訓となった。

さて10日間、非常に辛かった。音が食事の時間を告げる梵鐘と鳥の鳴き声というのも辛かったし、動けなくて足が痛いのも辛かったし、最後の2日くらいはまだこの痛みが終わらないのかという意識がループし続けるのも辛かった。

なんとなくだが女の人の方が最後の方は適応している感じがした。

部族の大人になる儀式を終えたモノ特有の連帯感だろうか、つらい10日間を終えた野田せいぞに親近感を覚える。向こうはこちらを知らないので一方的なものだけれども。

野田せいぞの瞑想合宿体験はオモコロのサイトで漫画で読める。

これを読んだ物好きな方も是非、野田せいぞの記事を読んで、そして10日間の瞑想合宿に参加してみて欲しい。

辛いけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?