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違国日記

漫画をちょっとだけ読んでた違国日記。
映画化するってなって楽しみで観に行きました。

やっぱり良くて、とても良くて、観に行ってよかったなと。私にも槙生のような人間がそばにいてほしかったなと。朝が少し羨ましく感じました。
槙生のように生きられたらいいのにと感じずにはいられずでした。私も結構人と関わりたくないと思う人間なので、でもその中でも結局人は誰かに頼ってしまうものだし、頼ることが悪いことではないとも分かっている。それでも、私は人に頼るという感覚が苦手で、槙生が「私には助けてもらう価値があると思えない」と言ってて、私もそんな価値があると思えない人間で、でもやっぱり助けてほしいなって思う時があって。どうやって人に支えてもらえばいいんだろうなって考える時があります。
あなたはあなたのままでいい。なりたい自分になる。それって一体なんなのか。なりたい自分とは一体誰なのか。その答えは出そうで出なくて、人生まだまだ多分あるのだろうけどその中で果たして答えが出るのかも分からないし、これが答えですよなんて教えてくれる人もきっといないし。
最近読んだ村上春樹の"海辺のカフカ"で、「自由なるものの象徴を手にしていることは、自由さそのものを手にしているよりも幸福なことかもしれない」という台詞があって、なるほど、確かにそうなのかもしれないなと思いました。自分が、自由だ!と思えるものがあればきっとどこまでも自由でいれて、それは周りがなんと言おうと自分が自由だと思える証で、それってすごく最強じゃないかと思って、私の自由の象徴とはなんだろうとその時は考えて、結局何もないなと浮かんでこずでした。
違国日記を観て、私の自由の象徴というものにこの映画が少しなった気がしました。自由とは、自分でいることに繋がると思います。まだなりたい自分というものが私には少しよく分からないけど、いつか誰かにちゃんと胸を張って言えるように。そんな自分になれるように、少しずつ生きていきたいです。
違国日記は私のような人間にはとても刺さる言葉がありすぎて、ブッ刺さりまくりでありました。私の感情は私だけのものである。本当その通りだなと。相手がどう思っても、私たちは別の人間なのだから私とは感情が違うのは当たり前で、人というのはすぐ押し付けたり、合わせようとしたり、寄り添おうとするけど結局それは多分ただの中途半端で、人というのは最後までは寄り添えることができなくて、それって少し悲しいけど当たり前で。それはそうで。私の気持ちは私のもので、相手にも分かり合えるわけはなくて。だけど、それでも人は歩み寄ろうと、理解をしようとする。そういうところが人間という生き物で好きだなと思う時もあるし、本当鬱陶しいなと思う時もあります。
いつか私にも、笠町くんのように寂しいこと言うなよなんて言ってくれる人間が現れますように。
なんて期待してたらきっと駄目ですね。

映画面白かったので是非。

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