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(エッセイ?)皆さんはこれを不思議とは思いませんか?

私の身に起きた不思議な事では無いのですが、みなさんはこれを不思議とは思わないのかしらというお話です。

 たとえば、もう四十年ぐらい前でしょうか、その後十年は続いたと思うのですが、「アメリカシロヒトリ」という蛾の幼虫つまり毛虫が大量発生しました。

 私はその頃東京の下町に住んでいたのですが、街路樹や桜の木などその毛虫の吐き出す糸で木が覆われる程でした。気持ち悪い話でごめんなさい。

 木の下は歩けません。毛虫が落ちてきてあちこち這っていました。私も毛虫が苦手でその時期が来ると憂鬱でした。

 でも不思議なことにこの「アメリカシロヒトリ」という毛虫の成虫の蛾を一匹も見たことが無いのです。

 大きくて白い蛾だと調べてみたら分かったのですが、ただの一匹も見たことが無いのです。あれだけ大量発生していたのにです。

相当な数の成虫がいてもおかしくはないはずですが。

 あり得なくないですか?そんなことないよ。白い大きな蛾を大量に見かけたよと言う人いますか?

 

 これはどうです?

 東京の下町でも鳩や雀、それにネズミとかもいると思うのですが、それらの寿命はそれほど長くはありません。

 鳩が一番長くて約十年、雀が約三年、ネズミは約二年。だいたいそのぐらいでしょうか?

そのぐらいの年数で入れ替わっているのですから毎年相当な数の寿命を迎えたものが私たちの周りで亡くなっているはずです。

 ですから、そうとうな数のその骸がどこかで発生しているはずです。

 普通寿命が来た動物たちは自分の巣の中では亡くならないようです。

 ではどこで最後を迎えているのでしょうか?

寿命で亡くなったそれらの動物の骸を見たことはありますか?

 たまに車に轢かれたらしい鳩の骸を見ることはありますが、寿命を迎えて亡くなったらしい骸を一度も見たことがありません。

 ある人は、雀なんかは河原の倒木の下に入って行ってそういうところで最後を迎えているんだとか言いますが、それなら河原の土を少しでも掘ったら動物の骨が大量に出ませんか?

 だって、毎年相当な数のそういう動物たちが寿命を迎えて亡くなっているはずです。

 だから道路を歩いていても、公園に行っても寿命を迎えた人間には飼われていない動物の骸があっても不思議では無いのでは?

でも、それを目にすることはありません。交通事故にあったり毒物を食べてしまったりで亡くなった動物の骸を見かけることはあっても、寿命を迎えて亡くなった動物の骸はいったいどこに消えたのでしょうか?

 自然界ではそういう動物の骸を食べてくれる動物もいますからそれでバランスがとれているのでしょうが、東京の下町にはそんな動物はいません。

 だから骸があっても当たり前と思うのですが幸いにも私たちが目にすることはありません。

見るのはせいぜい寿命を迎えて力尽きた蝉ぐらいです。

 最後にもう一つ、これは見え方や感じ方は人それぞれ違うのでもしかすると理解してもらえませんが、富士山の話です。

 東京の下町から富士山まで何百キロも離れています。

 富士山の高さは、三千七百七十七メートルです。

 高さを横に広げると四キロ弱。

 それなのに東京でたまに富士山を見かけることがあります。

 高速道路に乗った時に一瞬、ほんとに一、二分とか見えるのです。

「わあ、富士山だ」と思わず嬉しくて叫んでしまいます。

 写真に撮ってみるとそんなに大きくは映らないのですが、自分の目で見た時の富士山はでかくないですか?

 異様に大きく無いですか?

もしかすると、そのように見えて感じるのは私だけかもしれません。

 いつもそう見えるわけではありません、高いビルの上から見た時はそんなでも無かったような。。。

 そういえば、いつも富士山がでかい!と感じるのは高速道路に乗って茨城方面に向かった時だけかも。。。

 その富士山に物凄いパワーを感じてとうとう山梨県に移住してしまいました。

皆さんはどう感じるのでしょう?私が不思議と思うことの数々。あまり人に話したことはないですが不思議だと感じるのは私だけなのでしょうか?

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