体外受精に取り組むのは努力を証明したいからか

2回目の体外受精を終えた。

胚盤胞まで育つか、結果を待っている。体外受精はしんどいと誰かがブログで書いていた。経済的、精神的、身体的にしんどいのだそう。私はそこまでのしんどさは感じていない。何故かなと考えた。経済的に恵まれていること、職場からも理解を得ていること、そして、妊娠が最大の目的ではないことが理由だと思う。

パートナーがいて経済的にも問題がないのに子どもがいない。社会的義務を果たせていないのではないか。努力せずにいる自分にずっと罪悪感があった。もし体外受精で妊娠しなかったら、努力はしたが授かることができなかったと堂々と言える。(妊娠したら嬉しいだろうとは思う)。

数年前に交わした元同僚との会話を思い出す。彼女は結婚して4年目に妊娠した。「子ども、いつ頃から欲しくなったの」と聞いたら「子どもいた方が社会的に生きるのが楽だって分かった時」と答えた。そうだった。それが私達が生きる社会だった。「ああ。確かにね。そうだね」と私は返事をした。