岡本太郎に愛された人はすごい経験をしたと思う

岡本太郎の『自分の中に毒を持て』を読んだ。人を扇動するような、不安を煽るような題名が好きになれず、これまで避けていたが、すごくすごくよかった。

ふとした時に感じる違和感を、埋めてくれる文章がたくさんあった。

時々noteに出てくる婚活や恋愛関連記事の「先ずは自分で自分を満たしましょう。自分が幸せで満たされていて、そして初めて相手と幸せになれます」という言説。強烈な違和感があった。

岡本太郎は言う。

「自分が何か充ち足りていない。欠落した部分がある。それを求める渇望は疼いているのだけど、それが何によって充たされるのか。向かい合って一体になる相手は誰なのか。これが愛の問題の根底だと思う」

「自分が自分自身に出会う。彼女が彼女自身に出会う。お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ」

自分が充たされているから誰かを愛することができるなんて、とんでもない勘違いだ。自分の中にあるはずの何かを相手の中に見つけたとき、私達は相手に強烈に惹かれ、恋に落ち、相手を愛するのだ。

幸せという言葉にも、ずっと違和感を持っていた。幸せはただの現象で、尊んだり、求めたりするようなものでない。幸せという言葉から、利己的なものを感じる。それは私が捻くれているからだと思っていた。けれど、岡本太郎は言ってくれた。

「必ず心のどこかに満たされていないものがある。それと、まともに向かい合うことは、幸せなんかよりも、もっと、キリッとした面白さだと思う」

太郎!そうなんだよ!幸せに目を眩ませるのではなくて、自分の欲望と向き合う方が私は価値があると思うんだ!

そして、最後に。

私、性サービス提供者に会いたい。彼のラインアカウントは消してしまったから、直接お店にメールを送るしかない。恥ずかしいし、情けないけど、ラインアカウントを消してしまった私の弱さと歪さも私だ。

岡本太郎は言う。

「自分として純粋に生きることが人間の本当の生き方だ。人間は誰でも身体障害者なのだ。しかし人間は、切実な人間こそは、自分の歪みに残酷な対決をしながら、また撫で労りながら、人生の局面を貫いて生き、進んでいくのだ。自分の密かな歪みに耐えながら、それを貫いて生きるしかない」

そうなんだよ、岡本太郎。

無様だけど、私は彼が好きなんだ。私は彼の中に自分を発見したんだと思う。そして、彼もまた、私の中に自分自身を見つけたのだと思う。

岡本太郎は言う。

「危険だという道は必ず自分の行きたい道なのだ」

私、頑張れ!