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箱根駅伝を見ながらジェンダーについて考える

今年の箱根駅伝は、駒澤大学が大学駅伝三冠を達成するという素晴らしい結果で終わりました。
復路は一度も首位を明け渡さなかったおかげで、大八木監督の激が例年以上に何度も耳に届くことになりました。
だいたいは2位との差や、今のペースに関するもの、そして「男なら行けー」というたぐいのものです。
ここ何年か、彼のこうした激を聞くたびに、この言い方はジェンダー的にいつまでOKなんだろう?と考えています。

大八木監督は私より5歳年長のようですが、大まかに言えば同世代と言っていいでしょう。
私自身も、「男だろ」とか、「男らしく」とか言われ続けて育ってきました。一番は、母がそういうことを言う人だったということですが。
それで私が「男らしく」育ったかどうかはさておき、家庭で、学校で、スポーツの場面で、こういう物言いは私の世代にとっては定番でした。
特にスポーツの世界では、大八木監督の例を引くまでもなく、今でもこういうことを言う指導者は少なくないようです。

でも、事実としてスポーツの世界に限っても、世の中は私の若い頃から大きく変わっています。
私はラグビーをやっていましたが、その当時、女子がラグビーをやることは考えられませんでした。今はワールドカップも開催され、女子日本代表も出場しています。7人制のラグビーも、男女ともオリンピック種目になっています。

私が若い頃、女子がやっていなかった、もしくはオリンピック種目になかった競技は数えきれないほどあります。
マラソン、レスリング、スキージャンプなど、日本の女子選手が活躍している種目や、棒高跳び、三段跳び、スキー滑降も女子のオリンピック種目にありませんでした。
女子柔道もオリンピック種目になったのは1988年からですから、私はもう社会人でした。マラソンは女子には過酷すぎると思われていたなんて、今の若者には想像できないでしょう。
というように、「男の牙城」と言われていた競技はほとんど消滅しています。今思いつくのは、陸上の十種競技くらいかな?(女子には7種競技が代わりにありますが)
今は男女一緒に競技をすることはほとんどないのですが、いずれその壁も撤廃されるのかもしれません。まずはスケボー競技あたりが男女一緒に競技するかもしれませんね。
以前の投稿でも書いたのですが、私が社会人になった1986年に男女雇用機会均等法が施行されています。
その時は、総合職・一般職という、事実上男女を言い替えただけのような制度から始まって、今は男女別に採用することは違法でもあり、少なくとも入り口に男女の差はありません。もちろん、その先にはまだまだ差があるとしても、我々の意識がアップデートされることによって、徐々にその違いは性差ではなく、個人差に収斂していくものと思います。「男らしく」より先に「女らしく」のほうが姿を消すでしょうね。

さあ、大八木監督はいつまで「男だろ!」と叫び続けていくのでしょうか?(来年から総監督になるそうですが)
私自身は、そう言われることに抵抗はないものの、「頑張ることに男女関係ないじゃん」とも思います。

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