リベラリストの成れの果て

あなたはリベラリストですか?
と問われればそうかなぁとも思う。
自由主義で多様性を認め、合理的な考え方をする。
とか…そういう意味では僕はリベラリスト。

しかし同時にコンサバでもあると強く意識もしている。

対義語的に扱われているのがどうにもしっくりこないのよ。

多様性の中には古き良きものも含まれるでしょ。って思うし、
効率合理を考えていくと結局基本に戻る。みたいなことはままあるわけで、
リベラルの対義は僕の中では権威への盲信、あるいは思考停止と考える。

一番嫌なのが思考停止で、これはこれでいいや。とか考えるだけ無駄だよ。とかそういうフレーズを敵にして、
せめて考え続けることだけであっても物事を棚上げしないように生きていくことが自分的なリベラルだと思っている。
レッテルの無駄なことといったら。

一般的なリベラルの成れの果ては何でもかんでも違う違う文句を言って対案出さずにイヤイヤ言ってる老人。

コンサバの成れの果てはあれもダメこれもダメ、今のままで良いのじゃって言ってる頑固な老人。

結局大差ないじゃんって。

良いものは良い悪いものは悪い。
その理由は。
そしてより良くするには。
というループを考え続けていれば、そのような思考停止ジジイにならずに済むのじゃないかと期待しつつ、
インプットもアウトプットもやめないでいることが当面の目標。

市井の人々がそういうメンタリティでいれば世の中どんどん変わるし、
良いものは残っていくと思うもん。

自由主義者で物分かりが良くて、頭キレッキレだった人が、頑固で文句ばかり言う人に成り下がるケースは決して老いぽれてしまって…と言うケースに限らずに、
いろいろなことが思うようにならずに、「どうせ」が溜まってしまうケースが多く、それは若くしてそうなるケースも少なくない。

今の日本なんてホントいい例というか正しくそんな感じで、教育レベル高く、賢く優秀な人たくさんいるのに、「どうせこの国だとダメでしょ」とか「自分がだけじゃどうにもならんし」とかそんなリベラリストの成れの果てみたいな考えが蔓延しているせいでコンサバの成れの果ての金の亡者どもの思うままの世の中になってる構図。

この閉塞感を打ち破るのは何だろう。どんな人々だろう。

それがリベラルと呼ばれようがコンサバと呼ばれようが関係無い。

両手を上げて受け入れるつもり。

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