見出し画像

コロナと結核と疥癬と

「なに、、、これ。」

 老人ホームに就職して3ヶ月目、何かがおかしい。常に背中や股、お腹、腰が痒い。

裸になり鏡でみると、痒いところに1ミリ程度の赤い発疹がいくつもできている。なんだこれは。お風呂には毎日入っている。何かを触ったわけでも、変わったものを食べた記憶もない。

寝たら治るかと思い床につく。夜になると、さらに全身が痒い。明らかにおかしい。数日経っても症状が変わらない。むしろ酷くなっている。私は皮膚科に向かった。

 お医者さんは言った。「かいせんですね」。「かいせん?」初めて聞く病気に頭の中がハテナでいっぱいになる。

 かいせん。漢字では疥癬。ヒゼンダニというダニが、人から人へ移り、人の皮膚に住みつくことで発症する。肉眼ではみえず、お腹や背中等の体の軟らかい所が痒くなる。

 体の中にダニ。そんなものが自分の中にいると思うと、考えるだけで気持ち悪い。

 治療はお風呂上がりに、軟膏を首から下の全身にもれなく塗るというものだった。しかも毎日1ヵ月間。

 介護という世界がどういうものかも分からず、20歳で飛び込み3ヶ月目に疥癬。

この仕事にむいてる、むいてない以前の話だ。

勤務先に相談すると、一ヵ月間はビニール手袋とビニールエプロンをして出勤可能というものだった。勤務後は着た制服をビニール袋に入れ、殺虫剤をスプレーしてから家で洗濯する必要もあった。疥癬には潜伏期間が1、2ヶ月あり、日々変わっていく利用者の高齢者に症状が出ている人がいないため、結局誰からうつったかは分からなかった。

 疥癬と分かった日から家での生活が変わった。ハンドタオルやバスタオルは家族で共有せず、定期的に家の掃除、晴れた日にはとにかくシーツを洗い布団を干した。

 同居している家族に疥癬であることを話すと、「そういえば最近体が痒いんや。」と、父と兄が言った。

まさか。

次の日病院に行くと父と兄も疥癬との診断だった。そしてなんと、面識のない兄の彼女まで疥癬になってしまった。

申し訳ない。

もちろん望んで疥癬なんてなったわけではない。それでも、ただただ申し訳なった。

 友達と遊ぶ時も気が引けた。疥癬は基本的には肌と肌が触れ合うことでうつるので、誰かと一緒にいるだけではうつらない。

思い切って友達に話すと、冗談混じりに「うつすなよ」と言われた。その場では笑ってやり過ごしていたが、心の底にしこりができたのが分かった。

 1ヶ月過ぎると痒みは治まり、家族も治った。職場でのビニール手袋等もせずよくなった。

 ただ、これで全て解決とはいかなかった。

 人に触れるのが怖い。

介護は移動動作やお風呂、オムツ交換など高齢者と肌が触れ合うことが多い。手を握ったり、背中をさするなんてことは日常茶飯事だ。以前は、細くてシワシワの手に歴史を感じ、抵抗感なんて一切なかった。

が、疥癬になってからは、肌に触れることが怖くなりボディタッチを避ける自分がいた。

 また、少しでも体が痒くなったり、自分の体に小さなできものを発見しただけで、また疥癬になったのではと不安になり、常に軟膏を持ち歩くようになっていた。

 疥癬に感染する前と後では何かが変わってしまった。

 24歳の時に看護師になるために看護学校に入った。

年に一回健康診断がある。

健康診断の結果、至急専門医の受診が必要との結果が返ってきた。レントゲン検査に引っかかったようだ。咳もなく体調は悪くない。

「右肺の上に影がうつってます。結核の可能性があるから採血して詳しく調べてみましょう。」
受診先のお医者さんから説明を受けた。

え、自分が結核に。

結核って新選組の沖田総司がなったやつやん。血を吐いて死ぬやつやん。昔の病気じゃないのか。クラスメイトにうつしたらどうしよう。

不安ばかり頭の中で回った。

結果が出るまではマスクをして過ごすようにとのことで、何も知らないクラスメイトからマスクの理由を聞かれて返事に困った。

 数日後、結果が出た。

 診断は肺結核、陽性。

感染経路は不明。不幸中の幸いで保菌状態ではあるが、薬を飲めば普通に生活でき、人にもうつることはないとのことだった。

なんで自分が結核なんかに。
ただ、人にうつらなくてよかった。でも、クラスメイトから変な目でみられないだろうか。

学校の先生に相談して誤解が生まれないように、クラスメイト全員に自分の病状の説明をしてくれた。

説明後、クラスメイトは普段通りに接してくれて安心した。ただ、その中の一人が、冗談混じりに「うつすなよ」と言った。

まただ。疥癬になった時に友達から言われた時と同じ言葉。こちらからしたら全然冗談じゃない。

 結核の治療は毎日、4種類の薬を飲み続ける。内服開始後におしっこが鮮やかなオレンジ色になったことに驚いたが、他の副作用は出なかった。

定期的に病院に受診し悪化がないかみる。お医者さんの説明をきく前に、万が一悪化していたらと思うと、毎回心拍数が上がった。

 毎日薬を飲み続けるのが面倒なこともあったが、飲み続けないと、薬の効かない結核に変化することがあるため途中でやめるなんて怖くてできない。

 内服開始ししばらくするとレントゲンに写っていた影は消えた。そして半年後、やっと薬を飲まなくてよくなり、ようやく結核から解放された。

 感染症はもうこりごりと思っていたが、看護師になり病院で勤務すると、インフルエンザ、C型肝炎、緑膿菌等様々な感染症を持つ患者をみる。

感染源は、血液、排泄物、咳や痰など感染症によって違い、当然対応も変わってくる。感染症によっては部屋へ入る前に手袋とビニールエプロン、マスクにフェイスガードをする。そして部屋に入る前や出た後に、毎回消毒や手洗いを行う。

 他の患者への感染を広げるリスクを減らすため、その患者の部屋に入るのが自然と最低限になる。現場では面倒が増えたとよく愚痴がきこえる。

 2022年の4月、2歳の娘が初めて幼稚園に行きだして5日目、急に熱を出した。

受診すると結果は、新型コロナ陽性。

その頃は、新型コロナが日本で広がって2年経っており、第6波の最中だった。ついにうちにも来た。

2歳の子供を自宅で隔離なんかできる訳もなく、自分たち夫婦はうつる覚悟をした。そして数日後には家族全員きちんとうつった。ただ、熱は出たものの重症化せず、職場や親にうつすことがなくてよかった。

当時の隔離期間は17日間だった。妻と子供2人との家での缶詰生活。やっていけるだろうか。熱が下がり元気もりもりの子供たちは公園や外に行きたいとせがむ。

 とりあえず家の中でできる遊びを手当たり次第にした。普段は危険だからと、させなかった料理を子どもと一緒にすると、とても嬉しそうな顔をみせてくれた。

 仕事もせず家族だけで17日間も家で過ごすなんてこと、この先の人生であるんだろうかと考えると、逆にとても貴重な時間に思えてきた。

 17日間が終わり、近所の公園にいくと子どもは全力で走り回った。制限なく公園で自由に遊べるのがこんなに有り難いとは。公園にこんな感情を抱いたのは初めての経験だった。

 感染症なんて誰もなりたくない。そんな感染症は意外と近くに潜んでいる。

 悪化しないか、他人にうつさないかと常に不安がつきまとい精神的にすり減る。そんなうつってしまった人を排除するのではなく、理解して受け入れてくれる社会であることを願う。

読んで頂きありがとうございました。スキやフォローして頂けると励みになりますので、よろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?