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年老いた夢#2「ただ力が欲しかった」

 ある日の合トレで、師匠と笹塚のゴールドジムに行った。その日は脚のトレーニングの日で、初めてスクワットを教えてもらった。自重でのスクワットはやった事はあるけれど、バーベルを担いでのスクワットは初めてだった。バーベルスクワットを行うためにはパワーラックの中で行うことになる。パワーラックじゃなくても、スクワット用のラックがあればできるのだが… パワーラックというのは、なんというか、四方をアイアンの柱で囲まれており、魔法陣だったりとか、神聖な儀式の場といった趣がある。神社の鳥居をくぐって境内に入ったときに感じる厳かな空気感がある。壁とかの仕切りはなくとも、敷居を跨いだだけで日常と切り離される感覚。誇大妄想的に言えば、別次元の空間に入り込んだような気分になる。

 まずは、師匠にお手本を見せてもらう。パワーラックに入り、バーベル(20kg)の下に潜り込み両肩で担ぎ、バーベルを両手でしっかりと握り込む。次いで、しゃがんで、立つの動作を数回繰り返す。パワーラックの前面には鏡があり、後方から師匠の後ろ姿と鏡に写った姿で動作を観察する。トレーニングにおいても原則的には守破離の考え方と同じだ。守=型(動作)を忠実に再現(トレース)する。破=守でマスターした型(動作)に自分の骨格や体型にあった型(動作)を加える。離=全く新しい境地へ進む。の流れは変わらない。芸事だけではなく、職人や趣味の世界にも言えることだ。先代からの教えを守り、次にそれを破り、離れていく。世阿弥の風姿花伝にある通りである。世阿弥リスペストと言ったところか。

 次は僕の番だが、まだ、バーベル(20kg)のみなので、気負いもせずに、気楽な気持ちでパワーラックに入り、バーベルの下に潜り込む。バーベルのみ(20kg)を両肩で担ぎ、バーベルを両手で握り込み、しゃがんで立つを数回繰り返す。自重の時よりも重さは感じるが、まだ全然気楽なものだ。師匠が外からフォームをチェックしてくれ、
「良いですね。綺麗なフォームですよ。」
と前置きをした上で、担ぎ方を修正してくれる。筋トレ好きの人全般に言えるのかは定かではないけれども、僕の統計では筋トレ好きは基本的に褒め上手な人が多い気がする。また、師匠は言葉少なめながら、いや、少なめだからこそ言葉の重みはヘビー級だ。一言一句を丁寧かつまるでバターのように滑らかに発声する。

 ウォーミングアップも終え、師匠が本番セットに入った時、鬼は出現した。バーベルに20kgプレートを4枚差し込み、手首にリストストラップを巻き、腰には飴色のレザー製のベルトを巻き、いざパワーラックの中に入った。バーベルの下に潜り込み、肩甲骨を寄せ、背中を固め、息を大きく吸い腹圧を高めたとき、背中の筋肉が隆起し、バーベルを握る両手の甲のリストストラップ部分に鬼と書かれた文字が出現した。一瞬、狐につままれたような気分になり、呆気に取られた。なぜなら、漫画ドラゴンボールで悟空がスーパーサイヤ人になる時に発する唸り声が聞こえたような気がしたからだ。それはもう、今まで見たことのある師匠の背中ではなかった。まるで、子供の頃に市民体育館で遠目に見たプロレスラーの背中を思わせる背中だった。

「な、なんて、覇気だ。オラ、ワクワクすっぞ。」
と胸の内で思ったが、言葉にならなかった。

 100kgを軽々と担ぎ上げ、丁寧にしゃがみ、勢い良く立ち上がる。1レップごとに息を大きく吸い込み腹圧を高め、鬼を出現させながら動作を繰り返す。10レップほど繰り返しても軽く息を切らした程度でクールな表情でパワーラックの外に出る。

「すげーっすね。マジでヤバい。」
「最近スクワットやってなかったんで、こんなものですかね。」
「こんなものか…ですか。」

 当たり前と言えば当たり前だが、明らかにレベルが違う。これじゃテストステロン値も下り、トレーニングに影響が出るんじゃないか。と感じる間もなく、ただただ興奮していた。

 次は、僕の本番セットの番だ。バーベルに15kgプレートを差し込み、パワーラックに入る。ウォーミングアップ時のパワーラックとは雰囲気が全然違う。先ほどの師匠の鬼気迫るスクワットの興奮もあってか、パワーラック内の磁場が明らかに歪んでいる。バーベルの重さ自体は50kgと自分の体重よりも軽いし、スクワットでは無いにしろ、そのくらいの重さと対峙した経験はあるが、何か得体の知れない場所に迷い込んでしまった感覚が拭えない。口は渇き、Tシャツの脇はビショビショに濡れている。バーベルの下に潜り込み、両肩で担ぎ、2.3歩後ろへ下がる時点で少しよろけている。ここからバーベルを担いだまましゃがまなければならない。息を大きく吸い込みしゃがもうとするが、バンジージャンプを飛ぶ直前の躊躇いみたく、なかなかしゃがむことが出来ない。意を決して、息を大きく吸い込みしゃがむが深くしゃがむことが出来ない。師匠からは「浅い…もっと深く。」と叱咤が飛ぶ。次は深くしゃがむぞと意気込んで、深く息を吸い込みしゃがむ。立ち上がる時に、50kgが物凄い重さに感じた。太ももあたりがプルプル震え内股気味になり、腰が左側に少しずれておかしな体勢でどうにか立ち上がる。何度かくりかえし自分的には限界を迎えてバーベルを戻そうとした時に、「まだイケる。後もう一回いきましょう。」と師匠が言う。息も上がり、思考が働かないまま、師匠の言葉に従いさらにしゃがむ。歯を食いしばり、全身の力を込めて立ち上がろうとするが立ち上がれない。すると、後ろから師匠が脇の下に手を差し込み、立ち上がらせてくれる。脇の下は汗でぐしゃぐしゃだが、そんなのすらお構いもなく、さらにしゃがまされ、立ち上がらせてくれる。僕もバーベルと対峙してる最中でもあり、そんなことを気にする余裕もない。まさに傀儡状態だ。数回繰り返したのちに、ラックにバーベルを戻した。息は上がり、パワーラックから出ようとすると脚はふらつき小刻みに震えていた。ただ、目だけは瞳孔が開き、明らかにハイになっていた。限界を超える時、または、限界を超えた時に人は覚醒することを体感した。

 その後、休憩(レスト)を挟み、10kgプレートに変更して15レップ。レッグプレスを3セットやって合トレは終了した。

 笹塚のゴールドジムは地下1階に受付と脱衣所があり、地下2階がジムになっている。トレーニングが終わり歩くこともままならないまま、手すりにしがみつきながら階段を登った。地下1階の受付カウンターの奥のスタッフが含みを持たせたさわやかな笑みで「お疲れ様でしたっ!!」と声をかけてくれた。どんなビギナーであれど、限界までやり切ること、トレーニングに対するリスペストを感じた。

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