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いつもわたしは、後で悔いる

人それぞれ、背景は違います。

生まれた場所も育った環境も
持って生まれたものも
培ってきたものも
こうなりたいという理想も。

だから隣の人にでさえ安易に
「こうすればいいのに」とは言えません。
そんなわたしにはスローガンが作れません。

眉毛を細めにカットしている人がいましてね。

今はあんまり、細くしないのがトレンドでしょうかね。知らんけど。

細くしているな、在りし日のアムラーなんかを想起させる懐かしい感じの眉毛ではあるな、と常々思ってはいたけれど、眉の太い/細いなどというのは、完全に個人の自由です。
細いのが好きなんだろうなと、そっとしておけばいい話です。

ある日、眉を細くしている彼を明らかにバカにしている感じで
「眉毛をいじるなんて理解できない」
と嘲笑している人がいたのです。

それを聞いたときわたしは、
あら、別に理解なんてする必要はないんじゃない
と思いました。

この世に理解できないことなんて数多あるし、逆に理解できるものってなんでしょう。
わたし、何かを完全に理解していると豪語できるもの、あるだろうか。いや、ない。

わたしは何も理解などしていない。
毎日、不可思議で分からないことばかりです。

なんであの人は毎日怒っているんだろう。
なんであの人はいつも被害者ぶってるんだろう。
なんでセミはわたしに向かって飛ぶんだろう。

だから、彼がどのような美意識や、あるいはコンプレックスを持って最終的に眉を細く整えるという結論に至ったのかということについて、誰も理解しているとは言えないし、そもそも理解などしなくていいことだと思うのです。

もしかしたら、本人すら理由なんて分かっていないかもしれません。

わたしも、わたしに対して「へーそういうことするんだ」と思う瞬間、未だにありますよ。
咄嗟の出来事に取り繕ったり、嘘をついたりすると「へーそういうの気にするんだ」「そういう奴だったんだ」と思います。自分のことなのに。

尚も「眉毛をいじるなんて理解できない」「俺は今まで一度も整えたことがない」と言い募る人に何か言ってやりたいと思ったわたしは、その人の眉毛をまじまじと見つめたあと、

「あなたの眉毛は整えなくても
 大丈夫そうだものね。」

と言いました。

あなたと彼は、違うでしょう、
と言いたかったのです。

でも言ってしまってから、本来伝えたかったこととちょっと違ったなと思いました。

これだと、眉を細くしている彼の元の眉毛に問題があるから整えざるを得なかった可能性を示唆したに過ぎません。
そうかもしれないし、違うかもしれないのに。
笑っている人の眉毛をちょっと、褒めたみたいな感じにもなっちゃったし。
断じて、褒めたかったわけじゃないのに。

今思えば

「人それぞれじゃない?
 わたしは彼の眉毛、悪くないと思うけど。」

これだったな、と思います。

でも今更訂正しに行ったら「へ?何の話すか?」ってなるんだろうな。
わたしは会話の瞬発力に欠けているので、こういうことが本当によくあって、毎回毎回、慚愧の念に堪えません。

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