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水に顔を付けられないのに海に行くようなもの

スローガン募集のお声が掛かりましてね。

スローガンって…
「進め1億火の玉だ」とかですよね。

組織や団体の意識を統一させる為に、短い言葉で口にしやすく強いメッセージを端的に表現する言葉。

高校生の頃、短歌とか作るのは好きでしたから、スローガンね、はいはい、作りましょうと思って仕事の合間を見て、軽い気持ちでWordにそれっぽいのを打ち込んでみていたのです。

1日経ち
2日目に突入し
1週間経っても
全然、いいのが浮かんでこない。

というか、凡庸の極み。意志薄弱。
なんのメッセージ性も無い。
なにも伝わってこない。

自分でも「求められているのはこういうことじゃないよね」と分かる出来です。
どうやらわたしには、スローガンを考える才能が欠落しているようです。

日々起きたあれこれについて考えたことをダラダラ書いて文章にまとめるのはいくらだって出来るのに、強力なメッセージを生み出すことは出来ない。

何故だ。

理由を探るべく、わたしが思いついたスローガン、のようなものを改めて眺めてみると

一様に薄ぼんやりとして
はっきりせず
主張が弱くて
結局何が言いたいんだか
どうしたいんだか分からん言葉が
自信なさげに並んでいるだけで
全体的にモワモワしています。

ん?

思い出した。

わたし
そもそも
向上心が無いんだった。

自分に喝を入れることすら出来ず、なるべくストレス値の少ない場所で息を潜めていたいという願いを持ち、新人さんに何を話しかけたらいいのか分からないから結局「業務連絡だけしか話さない」という低め安定の関係に落ち着いているわたしに、他者を高揚させる文章が編み出せるわけ、無かった。

noteへ投稿する文章を書くのに何のストレスも感じないのも、短歌を考えるのが嫌いではなかったのも、いずれも「自分の気持ち」を見つめる作業だからだ、ということに気付きました。

アドバイスとか
メッセージとか
スローガンとか

他者に向けたものを考えようとするとき、わたしの筆はピタッと止まるのです。

「Let's enjoy!」的な、ごく軽めなことすら言うのを躊躇い、まぁ、楽しもうとするかしないかは人それぞれだしなとか思ってしまうわたしです。
スローガンなんて、無謀です。

例えるなら
水に顔を付けられないのに
海に行こうとしてた。わたし。

危ない。
海は危ない。

『とと姉ちゃん』という朝ドラの中で、暮らしの手帖の初代編集長、花森 安治をモチーフにした人物が登場するのですが、彼が作成/採用した(と描かれる)「進め1億火の玉だ」というスローガンが若者を戦地に送り込む手助けをしてしまったと、後年になって悔やむシーンがあります。

人の心に届くメッセージを生み出せる才能も、わたしが滅法ダメなのも、それぞれ一利一害なのかもしれません。

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