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わたしの中にも矛盾はある

料理をしていたら夫が帰ってきて、スポーツ選手の怪我の話を始めました。

危険なタックルがあったその試合を当時、わたしも夫と一緒に見ていて、その瞬間のリプレイ映像がスローで流れたとき「あ、これは見ちゃいけないやつだ」と思って目を背けた、その後日談を、夫は話してくれたのでした。

以前も書きましたが、わたしは人の痛みに共鳴してしまう性質を持っています。
どこそこが断裂して、何やらから剥離して、複雑にどうこう…などという血生臭い話にわたしは立ち眩みを起こしそうになり、へたり込みました。

リプレイ映像で、怪我をした瞬間の様子を見てしまうことはすんでのところで回避したけれど、夫の話を聞くことでわたしの想像力が発動してしまったのです。

急に座り込み、顔面蒼白で押し黙ったわたしを見て、夫は慌てていました。

手の力が抜けて指の先が冷たくなり、目の前が白んできたら無理せずにひとまずしゃがむ。
可能なら横になる。

激しく動揺するとわたしは時々こういうことになるので、へたり込んだまま「しばらくしたら治るから、大丈夫」と青息吐息で夫に伝えました。

小休止をとって回復したわたしは、料理を再開。鶏の煮込みを作ろうという段だったので、半解凍した鶏肉の塊をひと口大に切り、次々に鍋へ放り込んでいきました。

…これは、矛盾だなと思いました。

人の怪我の話は聞いただけで気が遠くなるのに、鶏の肉は平気な顔でどんどん切ることが出来る。
筋を削いだり、不要な脂肪を包丁で取り除いたりすることも出来る。

人の骨折の話は聞いていて辛いのに、手羽先も手羽元も食べられる。
軟骨の部分がコリコリして美味しいよね、などと口にしたりする。

大いなる矛盾。

猫が殺処分されるのはかわいそう、と泣いている人のカバンは牛革製で、保護犬を引き取った同じ手で虫を潰す。お友達の悪口を言ってはいけませんよ、と言いながらSNSで罵詈雑言を書き込む。

矛盾と矛盾の間に、わたしたちは生きています。

有名人の過去の発言をあげつらって「20年前と言ってること違うじゃないか」と批判する、そういうあなたも、ご自身の胸の内に矛盾を抱えているのではありませんか。

認められたい
でも目立ちたくない

わかってほしい
お前なんかにわかってたまるか

好き
でも憎らしい

どちらも本音で
どちらもわたし。

今、生きている自分の中にも矛盾があるのに、20年前の自分と大きな乖離があって、何の不思議がありましょう。

人のことを我が物顔で批判する前に、自分はそんなこと言えた立場なのかな、と振り返るようにしたいと思うのです。

↓共鳴してしまう性質、についてはこちら

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