子ども好き、への訝しみ
「わたし、根っからの子ども好きなの」
と聞くと、慈愛に満ちた素敵な人物、という感じがしますよね。
世話好きな優しい人なんだろうな、
もしくは、そう思われたい人なのだろうな、
という感想を持ちます。
20年くらい前、女性ファッション誌の「オシャレ男子座談会~本音をぶっちゃけます~」みたいな特集で「そうだなァ、俺のタイプは"家庭的で子ども好き"な子カナ!」とか書かれていたような覚えもあります。
一方わたしは、自分が子どもだった頃から全然子ども好きではありませんでした。
相対的に見て人との距離感が確立されておらず、社会性も低い為に思ったことをズケズケと言う傾向にある子どもという生き物は、わたしにとって脅威でした。
「子ども好きじゃないコンプレックス」は長い間わたしを苛み、これはきっと世間様に言ってはいけないことだと思い、隠れキリシタンの如くひた隠しにしていたことは以前書きました。
しかし、すくすくと成長し中年となった今、「子ども好き」という表現にわたしは懐疑的です。
一口に子どもが好き、と仰いますが、「子ども」って一体、誰のことですか。
例えば東京都の銭湯では、子どもの混浴制限が10歳から7歳に引き下げられました。
ということは「子ども」というのは7歳くらいまで、小学校低学年までの児童のことを指すのでしょうか。
ということは「子ども好き」を「小学校低学年くらいまでの児童なら誰でも好き」と言い換えることは可能ですか。
例えば…これが「小学校低学年までの少女が好き」ならどうでしょう。
途端に怪しさを増しますよね。
でも、性別関係なく愛するなら、怪しまなくていいのでしょうか。
「子ども好き」と称する人は、本当にどんな子どもでも愛せるのでしょうか。たまたま、今まで出会った子どもとの相性が良かっただけ、という可能性はないでしょうか。
また、子どもの対義語は「大人」ですよね。とすると、「大人好き」という人がいても良さそうですが、自称子ども好きに比べて、大人好きと公言している人は少ないように思います。
熟女好きとかババ専とかジジ専とか?
でもこれは、性愛の対象を示す語のように思えます。
子ども好きの反対語には当てはまりませんよね。
主語を大きくするとロクなことがないように、目的語を大きくし過ぎるのも考え物なのではないかと思います。
わたしは「相対的に見て」子ども好きではありませんが、今までの人生で心から気の合う子どもに出会ったこともあります。
天使と見紛うばかりの純真無垢な大人もいるし
邪悪で傍に寄せ付けたくない子どももいる。
大事なのは年齢ではなくて個人の性質であり、それぞれとの相性を十分に見極めることなのではないか、と思います。
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