毎朝、人見知り設定にリセットされる
わたしは幼い頃、母親の影に隠れて出てこないような子どもでした。
母親がご近所の井戸端会議に参加していると、ちょいちょいわたしにも話を振られるのがイヤで、早く家に帰りたかったのを覚えています。
今も、本質は変わっていないのだと思います。
でも誰も、40歳のわたしの中に5歳の恥ずかしがり屋のわたしもいるとは認識してくれません。そりゃそうだ。
わたしだって、他者に対して「もういい歳だろ、しっかりしろや」とか思うもんな。
こういう描写、江國香織の小説にあったな。
なんだっけ。
『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』かな。
わたしはあの頃のままなのに、誰もそうは思ってくれないのだ、というくだり、妙に説得力があった。
登場人物の誰にも感情移入できない割に、誰が言っていることも腑に落ちる不思議な小説。
…
人の細胞って、夜寝ている間に結構な数入れ替わるんですってね(ざっくり)。
わたしの細胞はたぶん、みんな人見知りなのでしょう。
1日かけて、なんとか少しずつ社会性を身に着けて夕方くらいには雑談なんて出来るようになったのに、朝になると人見知りに戻っているのです。
だからわたしは毎朝、教育担当をしている新人さんに話しかけるたび、緊張しています。
新人さんも積極的に自ら働きかけるタイプではないようなので、わたしたちは2人して話しかけるタイミングを探り合っているのです。
雑談は、続いても30秒ほど。
別に仕事する上でお互いのことを知る必要もあまり無いかなと思い、余計なことは言わず聞かず…としていたら、完膚なきまでに仕事の引き継ぎ以外の話題がゼロになりました。
雑談って、どうやってするんでしたっけ。
話しかけられたことについて、膨らませることは出来る。
思ったことを文章にすることも出来る。
でも、自分から話し掛けるということが出来ない。
この冷え切った空間を、0から1にすることが出来ない。
これはきっと、5歳の恥ずかしがり屋のわたしが関係しているような気がするのです。
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