見出し画像

隠れた人間性が表れる言葉

普段は謙虚に見える人でも、些細な一言からその人の隠れた傲慢さが覗くことがあります。

「~させる」

という使役動詞です。

「ああ、それならうちのに作らせますよ」
「経験の為にも本人に書かせたほうがいいかもね」
「それ、次の会議であの会社に発表させようか」

わたしはたぶん、人間関係において「対等さ」というものをなかんずく重要視しているのだと思います。
対等さに欠ける人間関係は、下に位置する側の自由が阻害されるからです。

わたしは自分も自由でいたいし、相手にも自由でいてほしい。
だから、従属することも、されることも好みません。
軍も組もファミリーも、そこに序列というものがある限り、わたしは所属したくない。

そっか、だからわたしは学生時代、グループというものに属さないように細心の注意を払っていたのだな、と今更ながら思います。

普段から何かと命令口調を使う人もわたしは苦手ですが、周りに命令形で話をするのは、誰が見ても分かりやすく上から目線の人。

使役動詞を使うのは、注意していないと気付きにくいけれどもはっきりと自身の優位性を認識している人だと思うのです。

使役や命令というのは、上から下に発せられるものです。
他者に「~させる」という言葉を発する時、発言者は相手を「下」に見ているということになります。
自分の意向を、相手が拒否する可能性を鑑みていないからです。

ああ、妻や、同僚や、取引先のことを見下している人なんだなと推察されます。
だからわたしは「~させる」を頻繁に使う人とは距離を置きたいのです。

こういうことを言うと
「そんなつもりないんじゃないかな」
「細かいこと気にするんだね」
「本人は何とも思わないで使っているんじゃないかな」

などと言われます。

でも。

そんなつもりがないことを表明する為に、発言する前に数秒、考えることが出来る人を、わたしは素敵だなと思うのです。

細かいことを気にして、自分の言葉について何を使うか、何を使わないかをしっかり取捨選択できる人を、好もしいと思うのです。

何とも思わないで使役動詞や命令形を使えてしまう人が苦手なのです。

その人を知る為に、「どんな発信をしているか」という情報も勿論大事ですが、「どの言葉を使わないか」にも人柄が表れるように思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?