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褒められたら喜ぶことにした

若い頃は、褒められても恥ずかしいばかりで、あんまり嬉しくありませんでした。

わたしは赤面症で、思っていることがてきめんに顔に出るタイプです。

わーめっちゃ赤くなってる!
そんな喜ばなくても!
さては、好きなんじゃないのー?

とか揶揄われて悪目立ちする度、こんなことなら褒められなくてよかった、放っておいてくれたらよかったのにと思っていました。

そんなわたしもすくすくと成長し
立派なおばさんになりました。

先日、髪を切りましてね。
阿佐ヶ谷姉妹の美穂さんのようにしていただいたのです。

わたしは前髪が短いほうが好きなので
(目に髪が入るのが嫌なのと、視界をすっきりさせておきたいから)

美穂カット+眉上のパッツン前髪
になりました。

それを先日、会社の後輩が褒めてくれたのです。

バッサリ切りましたよね。
すごくかわいいです。
前髪短いのも似合ってて、
髪サラサラなのも羨ましいです。
かわいいなってずっと思ってて
でも言う機会なくて、今になっちゃいました。

普段それほど接点のない、10以上年下のその人は、そんなことを時々つっかえながら一生懸命、顔を真っ赤にして伝えてくれました。

なな

ななな

なんということでしょう!

(感動で語彙が飛ぶ)

こういうとき、控えめな日本人の美徳として
「いえいえそんなことはありません」と否定してしまいがちですが、わたしはあるときから、その謙虚な言葉を発するのを意識的にやめました。

褒めてもらって嬉しいことを
素直に伝えることにしたのです。

だって相手は、わたしを褒める為にわざわざわたしに話しかけてくれて、言葉を選んでくれて、それを発信してくれているからです。

数多の選択肢があるなかで、時間と労力をかけて「わたしを褒める」という行動を選んでくれたことを、わたしは否定したくない。

また、褒められたわたしがとても喜んだことで、褒めてよかったなとその人も嬉しい気持ちになってくれたら、また他の人を同じように褒めようと思うかもしれない。

そうしたら、褒めが伝播してやさしい世界を作るささやかなお手伝いができるかもしれない。

それは、素晴らしいことだと思うからです。
(そううまくは運ばなかったとしても)

それと実際、褒められたときに恥ずかしさよりも嬉しさが先に立つようになった、という、たぶん加齢によるわたしの自然な変化もあります。

褒められる為にしていることではなくても、褒められれば嬉しい。

その喜びを恥ずかしがらずにまっすぐに相手に伝えることは、緊張しながら言葉を選んでくれた人への、せめてもの礼儀かもしれない、と思うようになったのです。

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