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推せるってすごいこと

わたしには、今までの人生で所謂「推し」がいたことがありません。

推しのチーム
推しのアイドル
推しのゲーム…

熱量と持続力の問題だと思います。
本を読むのは楽しい。
目の前にそれがあれば没入してしまう。
読まずにはいられない。
NO BOOK NO LIFE.

でも、一人の作家を突き詰めて研究対象にするほどの熱量はないし、一生追いかけるほどの持続力も、わたしにはありません。

わたしは、職人にも研究者にも解説者にもなれない、実にポヤンとした人間なのです。

ワールドカップやオリンピックなど大きな世界大会があると、わたしは俗に言う「にわかファン」と化すときがあります。

日本が勝つと嬉しい。
でも「今年のチームは仕上がりがいい」と期待が高まれば高まるほど、「負けられない戦いが」などと言われれば言われるほど、勝ち上がれば勝ち上がるほど、緊張感が増します。

往年のファンと違って、今まで選手を追いかけたりチームを支援したりしていたわけでもないのに、浅ましくも「もっと、もっと」という気持ちが生まれてしまうからだと思います。

固唾を飲んで試合の行方を見守っていると、心が乱されます。相手に点を取られると苦しくなり、追い込まれると辛い気持ちになります。
PK戦やラスト一球、ラストワントライで勝負が決まる場面など、指の先が冷たく痺れてきて、呼吸が浅くなって、胃も痛くなって、おちおち見ていられないほどです。

勝ったら嬉しい。
でも勝ったということは、次の試合があるということです。
次戦も自分の一喜一憂に苦しむ確約を得たことになります。

負けたら悔しい。
でももう、心乱されることはありません。
ここから先はどちらが勝っても楽しめる。平静な気持ちで試合を眺めることが出来ます。

平穏無事。

もちろん、負ければいいと思って試合を見ているわけではないし、出来れば勝ってほしい、優勝してほしいと思って応援しているわけですが、負けたときにちょっとだけホッとするわたしもいるのです。

こんな脆弱なわたしに、1年を通してリーグ戦を行うような推しチームが存在していたら、持ちません。絶対に、持ちません。
チームに常に帯同して応援し続け、健やかなるときも病めるときも選手を鼓舞し叱咤激励するファンを見るにつけ、畏怖の気持ちが湧いてきます。

選手もすごいけど、推せるってすごいことだなと心から思うのです。

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