会社のスポンジ使う or 使わない
会社の給湯室に共用の食器用スポンジが置いてあったら、皆さんは使いますか。
わたしはついこの間まで
違和感なく使っていました。
でも、ある日、給湯室に
貼り紙がしてあったのです。
「泡がついた状態で放置しないでください
洗った後、水を切ってから置いてください」
貼り紙…
「架空OL日記」でしか見たことない。
実在するんだ、給湯室の貼り紙。
…
めんどくさし!
その日からわたしは、給湯室のスポンジを使うのをやめました。
だって、誰かの自分ルールを押し付けられるの、なんかやだ。
洗い物をするときは都度myアクリルたわしを持参するようになって、気付いたことがあります。
今まで何も考えずに使用していたこのスポンジ
そういえば会社の人々と共用していたんだった
ということに。
…
は?と思いますよね。
先ほど、わたしは前提として「会社の給湯室に共用の食器用スポンジが置いてあったら」と書きました。
でも、「共用」であることを分かっていつつも
なんというか…
理解、していなかったのです。
あの人も
この人も
その人も
同じスポンジを使っている。
わたしはお茶を飲んだあとのカップをささっと洗うくらいだけれども、わたしの見ていないところであの人が、さっき食べた油ギトギトのお弁当箱を洗ったかもしれない。
おかずの残りカスが付いたまんま、さして濯ぐこともなく放置していたかもしれない。
そういうことに改めて、気付いたのです。
***
結婚、というものをしてみたことで、
わたしの常識はどこまでも
「わたしの常識」でしかなく
世間の常識でも
あの人やこの人の常識でもない。
常識は、常識ではない。
わたしはそう、気付いたはずでした。
それなのに、スポンジを使ったあと
どうするのが「普通」なのか
どの状態が誰かにとっての
「当たり前」に該当するのか
そういうことを、まったく
何も考えていなかったのです。
普段は割と考えすぎて、考えに考えすぎて一周回って頭をぶつけてケガをするような性格をしているくせに、なんたる不覚でしょう。
不可逆。
一度気付いてしまったら
元には戻れないのです。
フェミニズムという考え方を知ってしまったら、今まで「しょうがない」と思っていたことが違う風に見えてきたみたいに。
当たり前だと流してきたことが、見過ごせなくなったみたいに。
もう、会社のスポンジを違和感なく使っていた頃のわたしには戻れない。
逆に、今となってみると何故使えていたのか、不思議なくらいです。
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