気楽な日記の書き方、他(30チャday28、日記32)

日記を随分とつけた。一か月分は書いたことになる。しかし実際は英単語の暗記と英会話しかしてないので日々書くことがなく、無理やり膨らませた思い出話ばかりになってしまった。それでも、そのおかげで整理されたことや見えてきたこともあるので、何かしらの意義はあったと思う。

今日は耳鼻咽喉科に行き、その後電話面接のようなものを受けた。そして相変わらず単語の暗記。

最近耳が痒かったのは季節の変わり目だから、私のアレルギー体質が反応してしまったらしい。あと、鼻中隔湾曲症について相談した。手術を受けるべきかと。お医者さんいわくそこまで重篤ではないが、鼻の左側の空間が狭いので、検査するための紹介状を書いてもよいと。たいして重篤じゃないんかい!と思った。なら毎日呼吸が辛いのはなんやねんと。まあもっと辛い人がいるというだけのことか。時間とお金に余裕があれば検査してみよう。

電話面接的なものはライターのお仕事。論文を書く上で論理的な文章を構成するプロセスが楽しかったから応募した、と言った。そしたら文章を書くことは論文を書く前から好きだったんですかと聞かれた。正直全然好きじゃなかったので、論文書いてからですと答えた(……正直すぎたか?)。事実、文章を書くことは本当に嫌だった。何かについて書こうとするには、あまりにも知識が足りなさすぎたから。一つのことをアウトプットするにはそれに対して十倍の知識を得ておかねばならないと聞いたことがある。確かにそれくらい知っておかないと、私の書いていることは本当に合っているのか不安になる。この不安が、執筆する気持ちを削いでしまう。

反面、日記というパーソナルな内容なら特に下調べをする必要もないので気楽に書ける。また、気楽さを助長するいくつかのテクニックがあることもわかってきた。たとえば全体の流れに反することはカッコに入れたり、追記や追伸で最後に付け足したり。書き出しに「やる気がなくて書けねー」みたいな言い訳をすることで、それ以降のハードルが鬼のように下がる。千葉雅也がオススメするように、「です・ます調」や「だ・である調」の区別もあまり気にしないようにしている。

私にとって最も適したスタイルは、基本的に「だ・である調」で淡々と事実を書き、たまに砕けた表現で感情を表すやり方だとわかってきた。これなら無理やり表現を捻出する必要もなく、堅苦しくなりすぎることもない。たぶん私の素の思考に近いのだろう。

書くことに苦しんでいる人は、ハードルを低くして実験的に書き進めながら、少しずつそれぞれのスタイルを見つけていけばいいのだと思う。

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