読書嫌いだった義務教育時代
趣味で読書することをプロフィールで掲げているワタクシ旅斗だが、義務教育時代は読書が嫌いだった。
幼少期からゲームや映画、アニメで娯楽を堪能していたからこそ、読書をしようにも、
「なんで自分の頭で想像しないといけないんだよ」
なんていうことを無意識に思っていただろう。
だからこそ、文字しかないものを見てもつまらないと思っていてばかりだった。
そして、読書嫌いをさらに加速させ、ちょっと拗らせてしまったのが、中学時代だ。
「ブックトーク」というものをご存知だろうか?
「希望」や「努力」、「仕事」などといったテーマを自分で設けて(場合によっては教員から指定される)、そのテーマに合う本を3冊選んで、読んで、その本とテーマにどういう繋がりや関係性があるのかをプレゼンすることをブックトークという。
このブックトークは当時ワタクシが通っていた中学の国語の授業の一環だった。テーマとの関連性や資料の見やすさ、プレゼンの聴きやすさなどを評価し、国語の成績に反映させるのだ。
このブックトークというのは、当時はほんっとうに嫌いだった。本読むのが好きじゃない上に、人前に立ってプレゼンするとか、嫌いな要素しかない。まともに勉強もできないくせに、この出来で成績に反映されるとか馬鹿げてるなんて思ったことも。
そもそもおおよそ2、3週間ほど(よく覚えていない)しか期間がない中で、本を3冊も読まないといけないとか無理に決まってんだろ、と思っていた中学時代のワタクシである。
ここで少し話が変わるが、中学時代の旅斗氏は野球部に所属していた。
外野手だったため、イチロー選手のような外野手になりたいという憧れもあった。それがきっかけでプロの選手たちが考えていることとかにもちょっと興味を持つようにもなった。
その中で知ったのが、イチロー選手が読書をしないということ。
それを知った旅斗氏は「あのイチロー選手が読書してないんだから、読書なんかしなくていいじゃん」なんて思っていた時期もあったんだよねぇ(あー、恥ずかしい)。
これらのエピソードによって、ワタクシの義務教育時代(特に中学時代)は読書を嫌いになったのである。
度々「若者の読書離れ」やら「本を読まない若者」やらというような内容のネット記事とかを見かけるが、自分にもそういう時期もあったからこそ、読書をしたくないと思う人がいるのも理解できてしまうんだよなぁ。
自分の頭で想像するのが好きか、新たな知識を得るのが好きか、学習する意欲がどれだけあるのか、というように思えているかによって読書が楽しいかどうかが決まると思うし(当然、読むジャンルによる)。
「じゃあなんで読書するようになったの?」
「なんで今こうして読書を趣味に取り入れているの?」
とここまで読んでくれた人は思うかもしれないが、まぁ、それは別の記事として書こうと思う。
追記(10月30日)
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