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ひとにやさしく

 昨日、帰宅する電車の中で、急にしゃがみ込んでしまった男性がいた。具合が悪そうなのに、誰も声をかけないし、席を譲ろうともしない。完全無視である。みんな冷たいなと思ったけれど、わたしが近くにいたとしてもきっと何もしない。もしこれが女性だったらどうだろう? もしかすると声をかけたり席を譲るひとがいたのではないか、と思うこと自体、わたしの偏見なのかもしれない。女性だろうが男性だろうが体調の悪いときはあるし、性別や年齢にかかわらず助けが必要な状況もある。それでも、それが男性か女性か、お年を召しているかいないかで、対応が変わることが多い。わたし自身がそうなのだ。できる限り偏見から解放されて、色眼鏡をかけることなく物事を見たいのに、ものすごく難しい。
 たとえば件の男性が、浮浪者のような不潔な身なりをしていたら? 時間帯がもっと遅くて、明らかに飲み会帰りのような顔色だったら? それだって、見た目から判断しただけのことで、本当の状況は本人にしかわからない。外見や雰囲気がどうであれ、つらそうなひとがいたら優しくしたほうがいいと頭では思っていても、実際のところ優しくできたためしはなく、いつも完全スルーだ。それならそれで割り切れればいいのに、翌日になっても優しくできなかった自分のことをネチネチと考えてしまう。そうして、現実的な行動は改善されないまま、モヤモヤすることを繰り返す一生が過ぎてしまうんだろう。せめて一回くらい、見ず知らずのひとに優しくできたと振り返ることができる経験をもちたい。

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