顔の異変に気付いたのは

小学校に入学すると同時に、「どうやら、ボクの顔が平均的な顔ではない」ということに気付いた。

気付いたきっかけは、同級生の発言。

「なんで、鼻の下に傷があるん?」
「鼻、ぺちゃんこやな」
「くちびるの真ん中、凹んでるやん」

などなど。

そして、渾名は『鼻ペチャ』に決定w

いや、常に、そう呼ばれていたわけではないが。
喧嘩などをすると、決め台詞のように、『鼻ペチャの癖に』と罵られる。
昔の小学生ってのは、喧嘩が絶えなかった(笑)

さて、保育園に通っていた時は、そんなこと言われたことがなかったのだが。
これは、両親が他の友だちの親や保育士さんに”強く”協力をお願いしていたのか!?
それとも、2歳頃からずっと通っていたので、「あいつはあんな顔」ということで、友達が違和感を持たなかったのか。
そこは、分からないけれど。保育園はめちゃくちゃ楽しく通った記憶がある。

しかし、屈辱的な渾名を拝命した小学校は、辛かったw

そのころから、鏡と言うモノの存在を知った。いや、それまでも、家に鏡はあった。鏡を隠されて生活してたわけではないから(笑)

でも、鏡の中をまじまじと覗くということはなかった。

小学校に入学してからは、鏡を覗くようになった。

たしかに、鼻の下に傷があって、鼻がぺちゃんこ。
どう考えても、平均的な顔貌から2標準偏差以上離れているということを、自覚した。

ここから、劣等感(劣等コンプレックス)を雪だるま式に膨らませていく人生のスタートである。

だから、小学校低学年の記憶はほとんどない。
人間は嫌なことを忘れるようにできている。

小学校低学年の記憶でしっかりと残っているのは、
『鼻ぺちゃ』という渾名を拝命したこと。
Y君という、支援学級の友だちは、優しかったこと。

それくらいだ。

そういば、このことろに、両親に、ぼくも支援学級に行きたいと、言った記憶がある。

ぼくからみれば、支援学級のY君は、勉強はできなかったけれど、話し方も少しおぼつかなかったけれど、日常生活は普通にできてたし、何より優しかった。そういう子どもたちと一緒のクラスの方が幸せだと、本気で思った。

まぁ、支援学級に通いたいという、願いは、両親によって、木っ端みじんに破壊された。まぁ、なんというか。。。大切な友達Y君の尊厳を奪うような発言もあった気がする。きちんと覚えてないが(ショックなことを忘れるからw)

しかし、それほど、両親は教育熱心だったのだ。
なにかに追われるかの如く、ぼくの教育に熱を注いでいたように思う。

「あなたが普通の人の社会で生きていけるように」これは、小学校高学年位からたびたび言われた。

今となれば、「普通の人ってなに?」という感じだが。

当時は、その言葉を言われるたびに、「ぼくは普通の人ではない」と言われているようで辛かった。本気で、”普通”になりたかった。

まぁ、今は、普通じゃない生活を楽しんでいるのだけど(笑)

普通じゃない人生を楽しめるようになるまでは、まだまだ時間がかかるので、ゆっくりと書いていきます。

普通じゃなくて悩んでいる人が、少しでも笑ってくれて、普通じゃなくても大丈夫と思ってもらえたら、嬉しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?