見出し画像

充実した学生時代の選択

今は振り替えると、学生の頃で一番楽しかったのは大学生活かもしれない。
僕は高校生の頃母親が統合失調症を発祥したこともあり、色々治めるために家が大変な状況だった。
そんな中、部活は野球部に入り、甲子園を目指し、勉強も一生懸命頑張ろうと思っていた。
小学生になるまえから塾に行って、野球部の部活と中学生3年間塾通いの日々。

高校生の頃になるといよいよ金銭的な事情があり志望校も出来るだけ少なくしないといけない。毎日部活と塾に行っている余裕もない。だから塾には行かず独学で勉強する道を選んだ。苦しかったけど今思えば家族との時間もとれたし良かったんだと思う。
進学校なので日々の練習時間は完全下校が夜7時まで。
だから家に帰ってきてから素振りとランニングをする。
そしてそれから少しだけテレビを観て英単語や数学の勉強。
それでも思えば気持ちも量も足りない。もちろん体調管理の面でも。甘い。
そのお陰で同志社大学だけ指定校推薦を出して受験校1校だけで入試を終えることが出来た。

でも僕はもともと地元の国立大学の三重大学の教育学部に進学をしたかった。それは高校入学の前から漠然とした夢で地方で一番賢いところに行きたいなという想いがあった。

それの概念を綺麗さっぱり変えてくれたのが高校の3年間の野球部での時間だろう。
恩師の先生の話しは面白くやる気や刺激を与えてくれる。いつの間にか野球のモチベーションもあがり、それと共に勉強の成績も上がっていった。
『文武両道』、『部訓』の『ありがとう』
お前は智将になれ。という言葉が今でも記憶に残る。
果たして今の僕は智将に近づいているのか。
その言葉のお陰で読書をひたすらするようになった。
そして大学進学時に、サークルに入らずに体育会野球部に入るという選択をした。
それは全国を目指す野球部で高校野球の強豪校から来る選手たちと野球部で共に刺激を受けたくて成長したかったから。
会話のひとつプレーの一つが勉強になった。意識の高さ野球で生きていこうとする人の姿。
学問も野球も出来る周りの仲間。
僕は選手という選択ではなく学生トレーナーという道を選んだ。
学生トレーナーは練習メニューの作成、選手の心身のケアを主に首脳陣と相談して決めていくのが仕事だ。
その中で身体が柔らかい選手、固い選手、話を聴いてほしい選手。どれだけ役に立てていたか分からないけど、心から愉しかったと思える青春の1ページだ。
卒業生にはプロで活躍されている方や社会人で活躍している方、仕事でいえば大企業でバリバリ働いているかたも沢山いる。
そんな高いレベルに入る経験をしたことが今に生きている。
努力の差が、凄くあることを痛感した学生時代だった。
だからこそその選択をした自分を誇りに思って今からでも精進していきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?