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ビールが飲めない

俺はビールがあまり飲めない。37歳にもなって
ビールの美味さが理解出来ないんだ。
飲みに行っても、麦焼酎、レモンサワー、テキーラなども好んで飲む。
ビールを飲めないなんて恥ずかしいと思うだろう?でも、その理由を聞けば仕方ないと思って下さる優しい方もおられるかも知れないから興味が無くても読んで欲しい。

もう30年以上も前。俺がまだ保育園児だった頃の話だ。
俺の住んでいた所はとても良い立地、家柄もとても良く、近所の人達には坊っちゃんと呼ばれていたんだ。
しかし何故だろう?その時から俺は気が狂っていた。不思議な話だ。

保育園の頃、俺は母親ではなく、祖父母に育てられていた。俺が母親の腹にいた頃に父親とは離婚したそうだ。父親はキチガイだったらしい。
裕福な祖父母に育てられたが、血のせいか俺は保育園で素晴らしい能力を発揮した。

俺には大好きな先生が居た。今でも鮮明に覚えている。
『たまき先生』。

俺はたまき先生が大好きだった。保育園児の癖に、好き過ぎて暴走してしまった。
ある日たまき先生と話している園児を見つけると、そのまま突進して殴っていた。当然怒られるに決まっている。俺の暴走は続く。保育園児の靴箱から全ての靴を放り投げる。当然怒られる。
まだ暴走は続く。保育園の柵を乗り越えて逃走しようとする。当然、先生も焦って優しい声で
『けんちゃん、お菓子あげるから手をこっちに入れて』と柵の中に手を入れる様に誘導してくる。
その作戦にまんまとハマった俺は手を入れる。
でもお菓子なんてこない。手を掴まれて逃げないように引っ張られる。
その時だった。ゴキっと音がした瞬間、俺は腕の痛さにのたうち回った。脱臼したのだ。
流石に先生も焦ったのだろう。すぐに病院に行く事になった。

病院で抜けた関節を入れるだけなのですぐに処置は終わった。しかし、本当の悪夢はここから始まる。
先程も書いたが俺の家は立地も良く、家の目の前が整形外科だった。当然病院もそこになる。
保育園から連絡を受けた祖父母が家で待っている。祖父母の家は一階が料理屋をしていたので、帰る頃には仕込みが始まっており、そこで祖父から説教を受ける事になった。

散々、怒られ泣かされた後、優しく祖父は言った。あのお茶を飲んで落ち着け。泣いて喉も渇いていた俺はカウンターに置いてあるお茶を一気に飲み干した。

何が言いたいか?祖父に飲まされたお茶は炭酸の抜けたビールだったって事。そして、優子がビールを飲んでいるとその事を思い出して恐怖心しか出ないって事。

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