見出し画像

“普通”では生きにくい世の中になってしまったなぁ

インスタやらX(旧Twitter)やらを毎日見てると

月収◯◯円稼ぎました!
とか
家族で海外旅行へ行きました!(ビジネスクラス)
とか
どデカい理想の家を建てました!
とか

いいなぁ〜とうるせぇが混在した感情になる投稿をよく目にします。

あとは同年代のYouTuberがバズっているのを見ると、唇引きちぎれそうなくらい悔しがってしまう。

こんなに他人の生活や収入が目に見えるようになったのもSNSのおかげなわけだけど

もはやSNSがなかった時代にこういう妬み嫉みはなかったのかとかもう覚えていない。

比較するにしても、隣のクラスの◯◯とか、近所の◯◯さんとか、ある程度距離の近い他人としか比較できなかったはず。

こういうキラキラした一般人をスマホ開くとすぐに見れちゃうようになったことで、別に凡人でも幸せに暮らせてたはずなのに

「何者かにならなきゃいけない」みたいな雰囲気が漂いまくっている気がする。

「よそはよそ。うちはうち」をいかに自分に言い聞かせられるか

羨ましいし、落ち込むんだけど、そういう人たちが本当に稼いでるのかとか、実はめちゃくちゃ不幸なことが裏ではあるとかは分からないわけで

キラキラしているように見える人たちが本当に幸せかどうかっていうのはSNS上ではどうにも分からない。

だから結局は、自分と他人は違う(だから“他”人なわけで)から幸せのベクトルも違ってくる。

自分を保つためには、いかに他と比べないかが重要になってくる。

比べるのは過去の自分だけにしたい

ベビー時代や子ども時代を思い返してみると
(ベビー時代の記憶はないけど)

ハイハイから歩けるようになったとか
自転車乗れるようになったとか

「過去の自分ができなかったことができた」という喜びが大きかった。

ある程度大きくなって大人に近づいてくると「できた」のハードルが高過ぎる。

過去に自分ができなかったことがちょっとでも出来るようになったなら、それでいいじゃないか。



と、自分に言い聞かせております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?