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私の第一希望はこれでした


こどものころから、ずっと不思議だったことがある。
みんな、本当に思っている事、本当に大事にしたいもの、ことを
そのまんまストレートに言わないこと。
そうして、影で文句を言う。
え?なんで?
さっき言えばよかったじゃん。
そうして空気読めない私はお友達から無視されて、
とても悲しい気持ちになって、世界が終わったような気持ちになって
これは、絶対しちゃいけないことなんだ!
思ったことをストレートに言うのはダメなことで
あとで、「私はこう思ってたんだよ。(でも我慢したの。えらいでしょう?)」という謎の手法を手に入れた。
&空気ヨムヨムマシーンと化した。

今でも根幹にソレがあるから、夫さんの前で発動しちゃう。
ので、夫さんは、私がよさげなことを言っていても警戒する。
「ほんとうに?後出しじゃんけんやめてよネ?」

本当はこう思ってたのに
本当はこれが欲しかったのに
本当はこれがやりたかったのに
本当はこれになりたかったのに

「本当は」を恐る恐るだけど、
思った瞬間にできるようになってきて、思った。

そだそだ、いつも第二希望、第三希望で遠慮してきたから
第一希望はこれだった!という、、、
自分の第一希望にびっくりする日々。

夫さんの計らいで、素敵なホテルステイさせてもらって、私の何かが大爆発した。

豊かさ、最高!である。
豊は素晴らしい
清貧クソクラエ(失礼)である。

貧しいことをさも美しいことのように、何か特別なステイタスのように
うーんうまくいえないけれど、金持ちダサイみたいな
成金汚いみたいな、、、、諸悪の根源みたいな感覚が根深くあったんだ。
貧しいは、自分が小さく固く煮詰まる感覚がする。
一人、押しつぶされる。
豊は温かくて心地よい。広がる緩まる世界が味方みたいな感覚。
ヒトが多かろうが少なかろうが明るかろうが暗かろうが安心に満ち溢れている感覚。そうしてどんどんどんどん溢れ流れていく感覚。
ヒトもモノもコトも区別せず、目の前に現れた物をそのままみて
交流して流れていく。
対極の感覚なんだ。

愛知に住んでいるころ、空がせまくて空気が重くてつらかったのに
今回のヘアサロン、ホテルステイ、歯の定期健診クリーニングを通して
訪れると、愛知は美しくて過ごしやすくてヒトもモノもコトも魅力的で
なんでこんなに違うんだろう
定住と旅とはもちろん違うのはそうなんだけども。

そうして、ホテルの朝食ブッフェを頂いている時にハッと!

ギャルソンさんに挨拶されたり、あらゆるオクニのお客様たち。。。。。
いろんなオクニの言葉が飛び交う。。。。。
あぁ
ここは
世界平和だ♡
世界中の人々がここで羽を休めて通り過ぎていく。
流れているんだ。

今、岐阜に住んでいて、いまだに旅人気分で過ごしている。
毎朝目のまえに広がる雄大なパノラマの景色
美しい山々、空、川、鳥たち。
流れている。止まっているものは何一つなく、どんどんどんどん流れている。
息ができる日常になって気が付いた。
つかんでいたのは私だった。
日常を素敵に変えたくて必死だった。
コントロールしたかった。
でも、本当は、何も考えず、目の前のことを夢中で感じきっていきたいだけなんだ。

およそ2年休ませてもらって、久しぶりのお仕事が始まる。
体がきゅっと縮まる感覚。。。
心臓がしめつけられるような感覚。
なんとか認められたいとふんばってきた25年の仕事人生がわたしの体中を駆け巡る。
でもすぐに、マクロファージ執事さんが私を見上げてうっとりする
「お嬢さま。大丈夫ですよ。からだのことはお任せください。
お嬢様は好きなことを好きな時に好きなだけしてくださったらいいんですよ」
このイメージは本当に効く♡
全細胞が生まれては死んで流れている。

私の心地よさはここにある

流れのまま

生まれることも死ぬことも
明るいことも暗いことも
同価値
常に流れている事こそが豊かなこと

もやっとしたり、迷ったりしたらこの基準を思い出そう

それは流れてる?
もしくは滞ってる?

私は常に流れる方を選択するのだ♡


愛知ありがとう



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