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安定を求めて大手鉄道会社に入社した私が年収を下げ転職をした話

2022年、退職の日

退職日は、土曜日でした。
10年近く勤めた前職の鉄道会社では最終日に同僚が出迎えるという慣行があり、最終日は50名以上もの同期・先輩・後輩に道中や職場で出迎えてもらいました。本当に幸せで、やはり仕事というのは「誰とやるか」がとても大切だと改めて実感したとともに、「こんな仲間に囲まれていた環境だったのに…」と転職という選択肢が正解であったのかと自問自答する最終出勤日となりました。

同時に、本来であれば休みであった管理職がホーム上で出迎える社員を把握するためだけに休日出勤をしており、私を出迎えてくれた社員が皆、翌日に呼び出され注意をされた、という話も後日聞きました。(この辺りの話は理解不能だと思いますが、別の機会に)

最後に見送られることすら許されない立場となっていたこと、退職する社員を見送る人間が誰かを把握するためだけに休日出勤を指示する組織にまで落ちぶれていたのだという事実だけを噛み締め、やはり転職をする以外今の私に道は無い、と未練を断ち次の会社へ移ることとなります。
ある意味で私を安定志向から自分の意志を持ち選択をできる人間に育ててくれた会社を少しでも良くしていくためには何が正解だったんだろう、転職活動ではただその思いを原点に伝え、他業種で活きるキャリアなど一つも持っていなかった私を受け入れてくれた企業で会社の外から答え探しをすることに決めました。

転職を決意するまでの長かった葛藤、どうすればこの巨大な組織を少しでも良い方向に進めていけるのかと泥に塗れた20代後半を後悔しない瞬間が無いかと言えば嘘になります。鉄道会社におけるキャリアというのは、端的に言えば「顔で仕事をできるようになるかどうか」ということです。旧態依然の官僚組織の意思決定において決定的に必要なのは結局のところ「面子」です。能力・人柄は次点です。いかに影響力を持つ「良いルート」に乗るかの椅子取りゲームの勝者になるか、何も期待せず・波風を立たせず会社にしがみ付くか。長く生き抜くにはその二つしか選択肢はありません。出る杭は徹底的に叩きのめされます。

しかし、いざ外に出てみて求められる能力は「自走力」であったり、「適応力」であったりするわけです。決められた裁量の中で会社の志向する方向に自らを適応させる能力などどの評価軸にも記載されていません。「顔で仕事ができるようになる」までの長い下積みなど、ずっと一つの会社で勤め上げるという前提無くしては何の意味も持たないのです。

もちろん鉄道会社においても当事者意識という言葉で自走力は求められます。ただ、評価制度とリンク出来ておらず、言葉に現実が着いて来れないのです。どれだけ組織変容に向けた言葉を並べたとて、令和の現在になっても現場で起きていることは先述したようなことなのです。会社の意に沿わない人間に対し共感する人間など存在してはならないのです。仲間の新たな挑戦を見送るなど言語道断なのです。

巨大さゆえ、そして「安全」という不問律を不変のものとして歩んできたが故に労務管理という鎖に雁字搦めになった鉄道会社の哀しい現実だけがそこにありました。コロナという人間の移動・コミュニケーションの手法を根底から激変させたターニングポイントを経てなお、今までのやり方を変えられない、外に答えを求めるどころか、異分子は排除し内に篭って「変わった感」を皆で創出し拍手し合う。

ただ、私もどれだけ会社に違和感を感じていたとしても、何の手法も見つけられなかったというのが事実でした。だから、人事領域に携わる仕事を次の職業として選択をしました。そこに答えを見つけたくて。

鉄道業。今でも、大好きな仕事です。
自分が仕事をしていることで、間違いなく社会の役に立てると実感できる仕事って本当に貴重だと思います。
子どもに手を振ってもらえる仕事って、世の中にそう多くないはずです。

2022年、転職後、必死でした。
何のPCスキルもない30代、新卒2年目の子にもPC操作など一から教わります。そして新卒の年齢から「世の中の普通の」会社で働いてきた同年代との基礎戦闘力の差に愕然としながら。同年代のマネージャー層も当然います。
「外の世界を見ましょう」だって?「外の世界を見なくて良い」から皆あんなにのほほんと働けたんだなと何度も打ちのめされました。まさに井の中の蛙でした。

だけど、そんな蛙も周囲にないものも持っていたりします。
鉄道会社の同僚に対する向き合い方(かなりウェットな文化なので好き嫌いは当然ありますが)や、人と組織に関する思い、特にそれが歪な関係性になったらどれだけ活気が失われていくか、という現体験をしていることは仕事に向かう原動力にもなっています。

そして何より、どれだけ忙しくても楽しかったと思えたことは大きかったです。
それなりの選択肢を取り続け、安定してそうというふわっとした動機だけで入社し働いていた頃とは何もかもが違います。「何か違う」と思っても上司に言葉に出すことはタブーだった環境から、どんどん改善点やアウトプットを求められる環境に。問題意識を恐る恐る口にしたら、帰ってくる言葉は「(自分もそう思うが)仕方ない」ではなく「やってみましょう」に。こんな環境が実現できれば、巨大組織はどれほどのエネルギーを発揮できるのか。死んだ目で働く人を減らせるのか。転職してからの方が、もっともっと「組織変革のために自分に出来ること」は何か、という問いを毎日考えるようになりました。

かつて私に「お前はどうしたい?」と声をかけ続け、全てを教わり世話になり続けたにも関わらず退職の際も背中を押してくれた先輩に報いるためにも。「なんで会社のためにやってきた人が辞めなきゃいけないんですか」と泣いてくれた後輩のためにも。そして結局のところ自分が20代を捧げた大好きな会社のためにも。

このnoteでは、そんな私が今後、「どうすれば巨大組織を変えられたのか」という答えを探す旅のメモとして自身のペースで残していきたいと考えています。
また、もしかしたら同じような境遇で悩んでいる方もいるかもしれません。
転職活動のリアルや、俗に言うJTCの外の世界の話も、少しずつ語ることができればな、と考えています。

新年からまとまりのない乱文ですが、もしここまでお読みいただけた方がいらっしゃいましたら感謝をいたします。ありがとうございました。

#2022年のわたしと仕事

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