見出し画像

3.11から学んだこと。

みなさんこんにちは。

今回は、2011年3月11日に東日本大震災が起きた時の話です。この時は皆様も沢山の苦難があったと思います。そして今も苦しんでおられる方もいらっしゃると思います。

しかしながら、この経験から私は実に多くのことを学びました。今回はそれをシェアさせていただきたいと思い、記事を書きました。

「その日」は、突如訪れました。
私は、関東にあるアウトレットパークのフードコート でうどん業態の店長をしていました。当時働いていた企業は元々、レストランサービスがやりたくて入った会社でしたが、会社の新規事業展開の方針で移動とってしまい、正直モチベーションはかなり落ちていました。「ああ、フードコート の対面販売なんてつなんないなー」と思いながらも、優秀なベテランのアルバイトスタッフたちが数多くいた手前、リーダーとしての仮面をかぶった状態で働いていました。

金曜の昼下がり、ランチタイムのピークも落ち着いて、清掃や翌日の仕込みなどをしていました。14時46分の地震が起きた瞬間は、普通の揺れではないとすぐに気付きました。フードコート の天井から壁面塗装の壁がパラパラと落ちてきます。幸にもお客様は目の前にいらっしゃらなかったので、直ぐにフライヤーやうどんを茹でる大釜からフタッフを離し、安全を確保しました。店舗にも大きな被害もなく、怪我をした方もいらっしゃいませんでした。

私は、一通りの安全を確認した後に、営業を再開しました。しかし3時台に大きな余震の後、アウトレット全体が営業打ち切りとなったのです。

その日は、関東園の電車も一切動いておらず、市内のホテルもすぐに満室になってしまいました。 施設の方々が動いていただき、他のテナントの店長達とアウトレット内の会議室に毛布を敷いて一夜を明かしました。
その時は、「まあ、明日になれば普通に戻るかな」と思っており、原発の事故もそんなに深刻には捉えていませんでした。

翌日、開店準備をしながら、お米を沢山炊いて、他のテナントのスタッフさんにおにぎりを配りました。「昨日は大変でしたが、今日からまた頑張りましょう。」そして、いつも通りの日常が戻ってくると思っていました。

しかしながら、開店時間のわずか15分前、施設からの通達がありその日も休館することが決まったのです。せっかく仕込んだ食材を全部破棄なければなりませんでした。

でも、「これでやっと家に帰れる」という思いもあり、少しほっとしました。

震災翌日はまだ交通機関が大混乱しており、殆どの路線が運休していました。勤めていた店舗から自宅まで通常2時間程度の通勤時間なのですが、その時は動いている路線を探しながら9時間ほどかけてようやくたどり着くことができました。

そして、自宅でテレビをじっくり見て、はじめて今回の災害の甚大さを思い知らされることになったのです。

震災当時は、深刻な電力不足と言われておりました。そして物流の混乱もありました。その為、アウトレットも再開日は未定との連絡が入り、会社からは自宅待機するように言われました。

しかし、自宅にいてもしょうがないので、翌日私はお店に行ってみることにしました。

交通は混乱していましたが、電車とバスを乗り継ぎなんとかたどり着くことができました。

いつもであれば、沢山の人で賑わっていて、活気のあるアウトレットのフードコートでしたが、電気もついていなければ、人もいない。不気味なほどの静けさです。それはまるで廃墟のようにも感じられました。

「もう、このままこの場所がなくなってしまうのではないか。」そんな考えが頭をよぎります。

人の気配のしないフードコートの客席を歩いていると、奥の方に一人の人影をみつけることができました。暗い中近付いてみると、私が仲良くしていた親子丼屋の店長Mさんでした。

私「大変なことになりましたね。」
Mさん「そうですね、誰もいませんね…。」
私「Mさんはどうして来ているんですか?」
Mさん「何かできることはないかって考えたんですが、普段できない看板の清掃をしようと思っているんです。営業が再開したときに気持ちよくお客様を迎えたいしね。」

私は、このMさんの一言にとてもびっくりしました。
そして、自分にこう問いました。「自分はMさんのように仕事に向き合えているのだろうか…。いや全くできていない。恥ずかしいけど自分のことしか考えていなかったではないか!」

今震災で、沢山の人が苦しんでいる。仕事を奪われた人もいるだろうし、働けなくなった人もいるだろう。

そんな中自分は何をしているのかと考えたら、日々を惰性で過ごしていたことをとても後悔しました。

自分には仕事もあるし、家族も仲間もいる。それに感謝しよう。今日から気持ちを入れ替えようと心に決めました。

私は早速Mさんを真似て、自分の店の看板を清掃しました。

来る日も、来る日も、アウトレットは再開しませんが、私とMさんは掃除を続けました。すると、その話を聞いた他のテナントの店長たちも徐々に出勤するようになり、一緒に清掃をするようになっていきました。

そして、震災から2週間程経過した頃、アウトレット全館が再開する運びとなりました。私はその日のことをまだ忘れていません。

その日の朝礼で、私は自店のアルバイトスタッフ達に、今まで本気で仕事に向き合えていなかったこと、みんなと向き合えていなかったことを謝りました。そして今日から気持ちを入れ替えて取り組むと約束しました。

営業が始まると、今まで来て当たり前だと思っていたお客様に自然と感謝の気持ちが生まれました。1日に何百人ものお客様がご来店されますが、その一人ひとりとしっかり向き合うことがお店や自分の成長に繋がると感じられたのです。そんな私の姿を見たスタッフ達もどんどん運営に積極的に動いてくれるようになりました。

そして、フードコートの他店とも大きな絆が生まれました。今まで、下げ膳の返却や、並び列の扱いなどで揉めることもありましたが、みんなが全体のことを考えるようになったのです。オフィシャルな店長会とは別に、みんなで声を掛け合い、集まる機会を増やして、どうすればフードコートを良くできるかを話し合いました。

この時の経験がなければ、今の自分はなかったと思います。もしかしたら惰性で仕事を続けていたかもしれません。

色々な知識やテクニックも必要かもしれませんが、根幹には自分自身の人生や仕事に向き合う姿勢が大切だと私は感じます。「情熱」を持って、目の前に「向き合う」こと。それ以上の成功の方程式は見つかりません。

私が、仲良くしていた親子丼屋のM店長から伝わった情熱を、私自身がお店のスタッフに伝えることができました。そして、そのスタッフ達も成長して、次のステージに挑戦しています。そこでもまた情熱を伝えてほしいと願っています。

みなさんも様々な悲しみや困難、不安と向き合っていると思います。希望を持てるきっかけがあることを願っています。

私は今日も情熱を伝えていきます。

読んでいただきありがとうございます。

Onwerd with love 愛を持って前へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?