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【お気に入りの武将】


歴史が好き。

専門的な知識はないけれど。

昔さんざん時代劇を見させられたからかな。

信長、秀吉、家康の戦国時代はテレビでもかなり取り上げられている。
事実とは少し違う解釈なのかどうかはわからない。それでも人物に惹かれるのはなぜだろう。

1番好きなのは「伊達政宗」。
幼少期の「梵天丸」もいい響きだ。

戦いそのものは好きになれない。
刀で人を斬る。
斬られる。
斬首、切腹。
嫌い。
つい目を背ける。

でも、歴史上の人物がいた時代背景や、人物の性格、そのときの思いを想像するのが好きなのだ。

人と人とが殺し合う時代で生きてみたいとは思わない。

でも、あの「ちょんまげ」の時代があったから、今があるんだと思うと感慨深い。

かなり浅い知識の中から、名脇役3人の武将を選んでみたい。

1.片倉小十郎景綱

伊達政宗の重臣。

政宗より10歳年上。

一説だが、天然痘で飛び出た右目が「醜いからえぐり出してくれ」と言う幼い政宗の命に従い、1人小刀でえぐり出したのが小十郎。

肝が据わっている。

非常に頭が良く、剣術にも長けている。

政宗のまさに右腕。軍師。
数々のピンチを救った。

そんな景綱だから、秀吉や家康からも熱いスカウトがあったようだが、主君政宗に生涯仕えた。

こんな人、今いるだろうか。

ぶれない軸、誠実に主君に忠誠を誓う。
主君のために、ときには厳しい助言もする。

政宗にとって、信頼のおける友であり、兄であり、父のような絶対的な存在だったのではないだろうか。

2.鳥居元忠

徳川家康の側近。
三河武士の鑑。

関ヶ原の戦いの前哨戦、伏見城の戦いにおいて石田三成率いる4万の軍勢に対し、1800人で対抗、13日の籠城の後、討死した。

家康が上杉景勝征伐に向かう際留守を任され、そのときには、家康の天下取りのために元忠は討死する覚悟があったとされている。

それより前に、真田昌幸との第一次上田合戦では7000の大軍で上田城を攻めるが、昌幸の策に屈し敗北した経緯があった。

伏見城の戦いでの元忠らの働きは、それに勝るとも劣らない勇猛な戦いぶりだったと言われている。

元忠の死後、伏見城に残された血染めの畳を江戸城に引き上げ階上に置き、登城する大名が常に畳を頭上に見上げた。

今も足跡の残る「血天井」は京都の源光庵に伝わっている。

こんな人、今いるだろうか。

君主に命懸けで仕える。
命を捧げても価値ある殿の存在。

重要なこの戦い後の処遇を見ても、元忠の子孫は徳川家からずっと庇護されてきた。
それだけ元忠の果たした役割は大きく、存在は特別だったのだろう。

3.直江兼続

「愛」と掲げられた兜が有名だ。
LOVEの方かと思いきや愛宕神社からとったものと言われている。

上杉謙信の養子、景勝を支えた文武兼ね備えた武将。

直江家に婿養子として入る。妻である「船」もかなり聡明な女性だったようだ。

上杉謙信死後、景虎と景勝の内乱「御館の乱」で国力は衰退。

その後、武田を滅ぼした織田信長らに攻められ、滅亡の危機に陥るが、「本能寺の変」で救われ、事なきを得る。

信長亡き後、豊臣秀吉に早くから従った上杉景勝とその側近兼続に対し、秀吉は絶大な信頼を寄せていた。

「上様・殿様」と言われた景勝に対し、「旦那」と呼ばれ、上杉家の政治全般に取り組んだ。

内政面では、田畑開墾による産業発展、外政面では秀吉の天下統一に協力する。

秀吉死後、家康の権力が強まる中、五大老の1人だった景勝と家康の間で不信感が強まっていく。

景勝が謀反を企てていると噂が流れ、家康が景勝に上洛を促す手紙を送るが拒否。
その際、兼続が家康に送った「直江状」がすごい。フィクションだと言う説もあるが。

兼続は家康の言いがかりに対してまっすぐ反論。
命より、武士としての筋を通している。

こんな人、いるだろうか。

これが結局、家康の上杉征伐、関ヶ原の戦いへと繋がっていく訳だが、石田三成は処刑、上杉家は存続する。

その後も兼続は、財政難の中リストラはせず、米沢藩の建て直しを行なっていく。

上杉家の衰退を招いた張本人として、一時は評判が悪くなる。

兼続死後のちに、上杉鷹山により再評価され名誉挽回される。

兼続の兜に刻まれた「愛」は、やはり戦いの神への愛だけではなく、上杉家への忠義、家臣や民への愛を示したものでないとはなかったのではないかと思う。

🌲最後に

偉大なる主役には、必ずそれを支える偉大な脇役がいる。

主君に命をかけて生涯仕えると言う力強い生き方は、今世ではあるのだろうか。

片倉小十郎景綱も、鳥居元忠も、直江兼続も、主君を支えるために自分の役割を理解し、時には悪者となり、盾となる。

忠義を尽くすことは、その時代を生きた者にとって武士道を貫いたに過ぎないことなのかもしれない。

歴史は事実とは違うこともあるだろう。
古書等から読み解くしかできない。
その古書が事実かもわからない。

ただ、「ちょんまげ」の時代は確かにあった。

時代の中でたくさんの先人たちが暮らし、繋いできた命が今ある。

そう思えば、無駄にしてはいけない、死ぬまで生きなければいけないと思う。

歴史に残る人物の陰に埋もれた人々にも、それぞれの暮らしがあり生きてきた。
そして生きている。

歴史を知ることは人の繋がりを知ることになり、
古に思いを馳せることもできる。

歴史が好き。










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