「ただ、それだけ」について

2024年6月19日、キテラクラブの「ただ、それだけ」のサブスク配信が解禁されました。
Gt/Vo.彩夏とGt.タチバナマキによる二人組ロックバンドによる最新曲です。

前回ご紹介した、「人生」のバンドではありますが、最新曲のサブスク解禁というめでたいタイミングということで、テーマにさせていただきます。
サブスクは、下記リンクからどうぞ、、、

さてこのキテラクラブ、「奇を衒って、今日もあなたの憂鬱にどうか。」という決まり文句ではありますが、今作「ただ、それだけ」には奇を衒うような二人の様子は少し影を潜め、静かに隣に寄り添うような優しさ全開でございます。

まず初めにお伝えしたいのは、「ただ、それだけ」はひどく青臭く、息苦しい「かつて」を包み込むための1曲でした。
いやも応もなく河川敷の帰り道を思い出させられるのです。
決して美しくもない過去を振り返りたくなるのです。

誰しもが一度は自分を、世界の中で「特別」と感じる事はあると思います。
その「特別」は何かと比較され、評価されるなかで少しずつ「普通」へと変わっていく。
かつてあった「特別」は「普通」になってしまったけど
それでも、そんな私たちのもつ「特別」を認めてほしい。
そして私たちも「特別」を認めたい。

そんな叫びが聞こえます。
しかし、叫びでありながら平凡に傷ついた心に寄り添うように、ギターの音がそばにいてくれているのです。
いいじゃないか、いいことも悪いこともあるだろ、まぁいいから進めよと背中を押してくれるようにギターは鳴り続けてくれている。

今作の妙味は、ここにあるとおもいます。
「ただ、それだけ」と諦める歌詞と、諦めさせないギターパート。
だからこそ、美しくもない過去を振り返らせる。
振り返って、認めたい。そこから再スタートだから。

私はこの一曲を、今を走り抜けようとする人に捧げたい。
がむしゃらにもがく人に捧げたい。

夢や希望や、興奮や失望や、熱狂や喪失や
混在する無数の相反する感情の中に、ただ一つ、ちっぽけな信念

遠のいてゆくそれも強く思って、見て見ぬフリでも今日を歩く。
ただ、それだけ

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