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コンプレックスは、種だ。

わたしのコンプレックスは、一言で言えば「生きづらさ」である。

どんなふうに生きづらいのか。ひとことで言えば、悪い方に考えすぎること。もうこれは、いつからかわからないくらいずっと幼い頃からだが、人のことが、周りが気になる。組織に所属すると、もっとここの仕組みがこうであればいいのに、周りがもっと優しくコミュニケーションを取ったらいいのに、もっと人を育てる風土や、失敗や間違いをおかせる風土があったらいいのに。みんな、もっと言いたいこと言ったらいいのに。言える雰囲気があったらいいのに。どうすれば、理想の自分に近づけるか、時代や国に対して思うこと、過去に対して考えることなど、それはもう大変な量の内省。将来への不安、頭のなかで突如始まるいくつもの意見の対立による葛藤、自分会議。目の前のことが見えなくなることは多々。もう白旗だ。なんて思うことは多々あった。いまもある。

それって、生き方が間違っているからなんだろうか。もっと気楽に生きたらいいんだろうか。これってわたしだけなんだろうか。わたしが変われば、自己肯定感が上がればいいんだろうか。

答えはNOでもありYESでもあると思う。変わろうと思って、早、約20年が過ぎるが、どんなに変わろうと努めても、日々小さな目標を立ててこなしても、基本的な気質は変わらなかった。でも、変わらない部分と変わった部分があった。感じたことに対して、自分の受け止め方に気づく、そして、事実に基づき、修正するという努力は、社会人になって、ずっとずっとしてきた。諦めなかった。その心理的な勉強もたくさんたくさんした。それによって変わったことはたくさんあった。

人との出会いによって大きな変化が訪れたこともあった。
私は、25歳のとき、ある飲み屋のお店と出会った。そこの店主と、常連と、仲良くなった。

その頃のわたしが唯一生きやすさを感じた場所で、自転車で30分程行ったところにある、常連の多い地域のお店。飲み屋である。

ここは、店主の性格と店の雰囲気もあいまって、ほんとうに色々な人がいる。みんながみんな、変わっている。というか、人はみんなもともと変わっているので、それの地を出せる空気があるのだ。多少、変わったやつがいて、それでいい。みんな、でこぼこ。それを、肯定も否定もせず、そのまんま。そのまんまの多様性。

こういう空気や空間、素で語れる、みんなが楽しくほっとして集まれる場所が、鍵だと思う。なにか外れてるから排除、のけ者、冷たい空気、ではなく、みんなでこぼこ、が前提なのだから、違いに寛大に。そして、人に優しく。間違ってることは、その人たち同士で、それはやめて、とコミュニケーションで解決する。こんな世の中になったらいいと、思うのだ。違っていたっていいじゃない。話したら、喋ったらいいじゃない。合わなければ、それはそれでその人が他の場を探したり、他の楽しみややれることを探せばいい。まあ、良く言い過ぎかもしれないが、ちょっとでもそんな風に思える場所が1個でもあると、生きづらさを抱えやすい人にとっては全然ちがう。

わたしは、根っこの部分で、生きづらさを感じている友達がたくさんいる。
でも、その人たちとは、コンプレックスというか、その生きづらさで繋がっているからなのか、この時代を頑張って生き抜いていこう、励まし合って、笑って生き抜いて(息抜いていこう)という繋がりなので、この繋がりはそうそう切れるものでもない。という気がしている。というか、別に切れても、物理的ではないどこかで繋がって、なにかを交換したのだから、それでよいか、という気さえしてくる。(笑)

コンプレックスは、人との違いだ。コンプレックスは自分の心の凸凹で、人とは少し違うものの見方を手に入れさせてくれる、種でもある。そして、それはいつか似たようなコンプレックスをもつ人と強く繋がれる、その人達に励まされ、励ませる、芽の出る種でもあるのだ。

光と、養分があれば芽が出る種かもしれない。

きっと。みんな何かでどこかで悩んでいるんだな、と最近思う。YouTubeや各種メディアで芸能人なども、本音を漏らす時代になって、悩むことがない人なんていないんだなとわかってくるような時代でもあると思う。

さて、人の世はもとより生きづらいものだ。それは、夏目漱石などの文学の文中にもある。それは前提として。

なんでこんなに生きづらいのだろう。
世の中のいまのシステムのなかで、生きづらさを抱えている人間がわたしなのではないか。そして、意外とこういう人って多いのではないか。
人と人の関係が、社会の中での自分の役割が、これだけ希薄になってきているなかで、様々な問題は起きている。かといって、昔がよかったという気もない。ようやく心について腰を据えてみんなが考えられる、目を向けられる時代がやってきたのだ。それに向けて、動いてる人はたくさんいる。テレビなどではなかなか良いニュースは目にすることはできないけれど、社会のなかには行動している人はたくさんいる。心に秘めて、日常を重ねている人も、たくさんいる。そんなことを思う。思いながら、寝る。

(と、こんな風に、noteでは、バラバラと書きたいことばかり書いています。まとまりがありませんが、書き疲れたのでこの記事はこれで。気に入ったら、またきて読んでください🙌)

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