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いつもどおりだからこそ、アウトプットの意識は薄く

正月が過ぎ、親戚が帰ると、あっという間に日常が帰ってくる。

今日からは平常運転で朝5時の起床。

早朝ランニングも行った。こんな寒い日に走ってよいのかわからなかったけれど、自分以外にもランナーがちらほら居たので安心した。部活の一環なのか、中学生くらいの子も走っていたのが印象的だった。

子どもの着替え、朝ごはん、お昼のお弁当、掃除もろもろをこなし、妻がコワーキングスペースへ行くのを見送る。

上の子の幼稚園はまだ始まっておらず、家のなかで子ども2人の面倒を見るのも大変そうだったので公園へと出向いた。
そして、子どもが40分以上止まらずに楽しく遊び続けている姿を見て、これはもっと外に出さないといけないなと考えを改める。
最近は家のなかで騒がしいと思っていたけれど、パワーがあり余っているわけだ。

持ち帰りたいと言われて膝に置かれた石

なんというか本当にいつもどおりの日だ。

このまま日常を淡々と書いていくだけで終わってしまうだろう。
別になにもない日ではなかったのに、ひとつの出来事にフォーカスできない日だ。

これは、いつもどおりであろうとして、アウトプットするという意識が抜けていたのかもしれない。
このくらいの日記を書くのにも1~2時間かかるくらいには「日記を書く」という行為に慣れていない。
生活しながらも「アウトプットをする」という意識を一定以上保ち、文字に起こしたい内容について意識を張り巡らせておかないと書くのもなかなか難しいものだ。

裏を返せば、それだけいつもどおりを守ろうと頑張った日なのかもしれない。

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