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表現者

高校生の書くnoteを読んでしまった。うまいな。

わかっていた。
昔より遥かに情報化社会の現在。

本や新聞しか読めなかった時代の私達とは違い、手軽にスマホで何でも読むことができる。

触れることができる。
情報も溢れ返っていて
いまどこぞの誰かが何を感じているかさえもわかる。
それが嘘だろうと本当だろうと信じてしまえばこっちのものだから。

今朝夫と表現者(物書き)について話をする機会があった。
夫自身が表現者なので、聞きたいことはたくさんあった、
その反面絶対に知りたくないことや知られたくないこともあった。
恐る恐る聞いてみた。

自分の生み出した物に対して愛はあるの?

「愛があるのかどうかはわからない。でも生み出したら読まない。」

それはなぜ?それは愛がないということだよね?

「理由は特にない。」

あなたの表現したことに対しての周りの声を重視する?例えばレビューを低くつける人がいたり、罵詈雑言浴びせられたり、こんなもの読まなければ良かったとか。そういう声に対してどう思うの?

「くそが!って思うだけ。
自分の思いは伝わらなかった。
しょーがないよねと思う。それだけ。」

そうね、自分は自分、あなたはあなたってことだね。
強いね。そういう人ばかりじゃないと思う。

「もしかして、何か書いてるの?
やっつけ?構想から?何をかいているの?
小説?」

書けるわけないじゃん!知識も教養もない。
なんとなくの勘でスラッと書けちゃいましたーっていう天才でもない。景色を知らない。ほかの土地を知らない。職業も法律も何もかも。私の思うことはたくさんあっても他人のそれを何も知らない。
誰かをメチャメチャに傷つける覚悟もない。
死ぬほど努力してる人と同じ土俵に立つこともできない。

そして、私はちょっと嫌みを込めて言った。
「あなたって覚悟とかあるの?」

「ないね。締め切りに間に合わせること。人に迷惑をかけないこと。」

「誰かの人生がより良い方向に一ミリでも向かったらそれでいいんじゃない」

ふーん。
私は向いてないよね。わかってるけど。
命かけちゃうからさ、きっとね。

「表現するって言うことは、批判を受けるかもしれないって事だよ。誰かを傷つけることもあるし、傷つくこともある。万人に受けようとかそんなの無理だから。
頑張るしかないんだけどね。」

努力、頑張る

いまの私にスッと入ってくる。

もうひとつ聞きたかった。
こっちの世界に帰ってくるときに、苦労はしないの?

「しない。訓練は必要だけど。他の仕事もあるからね。」

なるほど。

この人には知られたくない!
noteを書いているなんて。
絶対に内緒にしなくては。

「楽しむことが大事だよ。そうでなければ続けられない」

もうだめだなって、やめようかなって思ったことはないの?

「あるある。文字を見たくないとかね。でもほら、まわりに迷惑かけるから」

そこにいくのか。
そうなのか。

私にしては珍しく根掘り葉掘り聞いてしまった。
「Xとかもさ、文章を書く練習になるよ。思い付いたことはメモをして、いつか作品に繋げたら?」

何も考えていなそうだけど、色々あるんだね。
作品に繋げるってね…。簡単に言うけどね。
生きている世界が違うわ。

もっと壮大な、表現者とは!
みたいな話を聞けるのかと思ったけれど、一歩一歩階段を上っていきますーみたいな感じで家を出ていった。

それでは


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