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ADHDは外国暮らしをするべきか? その① 【ADHDは高学歴を目指せ】

 22.

 ――日本社会は息苦しい。

 そんな言葉を、よく耳にします。

 ちゃんと生きている人々でも、そう感じる点がたくさんあるらしい。

 これでは、型にはまることが難しいADHDにとっては、日本社会は『窒息するような社会』と言っても良いのでしょう。

 確かに。
 僕も、社会に出て就職しながら、思いっきりつまずいた時に。

 『日本社会は俺には合わない』と判断し、さっさと日本から出ることにし。
 そしてその後の人生の殆どを、国外で過ごしました。

 コロナ禍に襲われるまでは、一時帰国はしても、本格的に日本に移住しようとすることは一度もありませんでした。

 離婚をし、全財産を奪われ、仕事もなくなった――そんな時ですら、僕は外国での生活にしがみつきました。

 そんな有様ですから。
 少なくとも僕にとっては、外国暮らしが合っていた。
 それは、間違いのないことです。

 それでは、僕以外のADHDの人達にとって、外国暮らしがあっているかどうか、について。
 ここでは考えてみたいと思います。


 ただ、その前に。
 『外国』という言葉に対して、僕はどうしても抵抗を感じてしまっています。

 特に、マスコミやネットの書き込みで多く目にする、『日本と比べて』という意味で使われる、『外国では』という言葉。

 言うまでもないことですが。
 世界には約二百の国があり、それぞれ経済も文化も宗教も異なっている。
 しかも、同じ国であっても、富裕層と貧困層では何もかも違うことが多い。
 というより、富裕層と貧困層は、全く別世界に住んでいるものです。


 そんな世界すべてひっくるめて、『外国』という一言で片づけるのは、ひどく乱暴な話です。

 実際のところ。

 日本のマスコミやネット上の書き込みが、日本たたきの為に例に挙げる『外国』とは、ほとんどが『欧米の富裕層』の話。

 僕が知っている『外国』とは、かなり印象が違う。

 詳しくは、後述しますが。
 僕の思う『外国』は、人々は個性的ではないし、労働時間は短くないし、同調圧力はひどいし、貧しいし、医療はお話にならないし、町は汚いし、政治家は金儲けしかしないし、役人は一切働かない。

 日本で多く語られる『外国』とは、まるで逆だと言って良い。
 というよりも、『外国に比べて劣っているところ』という文脈で語られる際の、『日本そのもの』だと言って良い。
 

 だから。
 僕も、この文章の表題に、『外国暮らし』と掲げてはいますが。

 これだって、おかしな話で。

 僕がここで語るのは、基本的に『台湾暮らし』のことでしかありません。

 僕が二十年近くを過ごし、永住権も得ており、日本に帰国した今でも、毎日のように台湾のニュースを読んでいる、そんな国ですから、多少は語ることが出来ます。


 とはいえ勿論、その台湾社会についても、知らない部分はまだまだ多い。

 特に、『陰で台湾社会を動かしている存在』と言われる、台湾マフィアの絡む『闇』の部分については、その実態を一切知りません。

 つまり、台湾社会の実態も、実際のところは良く分かっていないのかも知れない。

 こんな有様で、『外国暮らし』を語るのは、噴飯ものなのですが。


 ただ、それでも。

 僕は台湾において、非常な富裕層であった時期もありますが、かなりの貧困層だった時期もあります。
 その双方の人々と、濃厚な付き合いをしてきました。
 

 また、台湾人は国外移住志向が高いお陰で、色んな国での生活の話を聞く機会が多かったこと。

 さらに、商売上、数多くの日本人駐在員の人々――それこそ世界中に住んできた人達――と交流があったこと。

 そして僕自身、中国やネパールではそれなりの期間を過ごしたし、その他にも、ある程度はゆっくり旅した国はあること。

 それらから、台湾以外の国での暮らしについても、平均的な日本人より多少は知識があるのは確かだとは思います。


 少なくとも。
 外国旅行をしただけの人達は勿論のこと。
 外国暮らしをしていたとはいえ、駐在員等、『富裕層』の暮らししか知らない人達。

 そして何より数の多い、日本に居たまま、外国の政府・マスコミの発表を――しかも日本マスコミのフィルターを通して伝えられたものを――鵜呑みにしている人達。

 そういう人達よりは良く知っているのは、確かです。


 と、いう訳で。
 偉そうな顔をして、『外国』暮らしについて語らせてもらいますが。

 僕の書く『外国』だって、イメージで補った部分の多い物――十分に怪しげなものであることを了解した上で、読んでいただきたいと思います。

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